午後1時05分、62.4k地点のレストステーション、カヌー館にやって来ました
ここでは味噌汁とおにぎりを頂き、10分ほど休憩して再び出発です
うん~、走れない、おかしいな~、足の動きが悪い、さっきまでの走りはいったい
何所に行ったのか、足の筋肉が固まってしまったようだ、休憩が長すぎたのかな~
懸命にリズムを作ろうとするが調子に乗れない、そのうち向う脛の下の辺りが
両脚とも痛くなってきた、その前に左のフクラハギの上の方も痛くなっていた
向う脛の下の方の筋肉が、痛みと共に攣りそうになって来た、こうなると辛い
もう回復しない、痛みと共に走るしかない
そのうち登りの坂がやってくるであろうから、そこで歩いて回復を待つ事にしたい
しかし、多少のアップダウンはあるものの、なかなか登りの坂がやってこない
四万十川は常に右に流れている、左側は山である、峠のような所を走っているのに
道は平坦である、不思議だ、いや必ず上り坂はやって来るそこまでの我慢だ
人の走りを注意して見ていると、抜いて行く人のピッチは私とそんなに変わらない
なのに軽々と抜いて行く、ストライドの差であろう、もう全く伸びていない
後でラップを見て分かったのだが、75k過ぎからはキロ10分位掛かっている
歩いているのではない、常に走ってはいるのだ、ストライドが全く伸びていない
中盤の55k位の急坂で少し歩いたが、それ以外は最後まで走り通した事が
今回の収穫だったが、この辺りでは登りが来れば必ず歩こうと思っていた
しかし一向に登りはやってこないのである、平坦な所を歩くとみっともないので
遅くとも走って進む、登り坂にならないかな~、と登りに期待する
90k地点通過が5時30分、残り10kで制限時間は2時間ある
何とか間に合うだろう、しかし歩くと間に合わないかもしれないと思った
95k辺りからだらだらとした登りになった、もうここまで来たら目標は歩かず
走り通す事だけになっていた、歩きたい、しかし歩いたら間に合わないだろう
今度は逆に下りを期待した、普通は登れば下りもあるはずだ、しかも峠道だよ
それが不思議な事に下りがやって来ないのである
ラスト2k位からはさらに厳しい登りになった、ほとんどの人が歩いている
誘惑に負けそうになったが、諦めず走って登る
しかし何故下りはやってこないのか、その時思い出した、そういえば昨日
バスガイドさんが、中村地区は標高600m位の所にあると言っていたな~
そうか、もう下りは期待しない、走って登るぞ~、ラスト500m位でやっと
下りに入った、そして応援の人波が続く
良く頑張ったね~、良く帰ってきたね~、と拍手がなりやまない、こうなると
もう一気に涙腺が緩む、ウルトラを走ったランナーにとって最高の喜びである
中村中学校のグランドに入ったら直ぐに、ゴールのアーチが目に飛び込んだ
女子学生がテープを張って待ってくれている、万歳をしてゴールをした
しかし時計を見るのを忘れた、正確ではないが多分19時ジャスト位だと思う
所要時間は13時間30分位かな、何とか時間内には帰ってこれた
完走メダルを掛けて貰い歩いていると、誰かが私のハンドルネームで呼ぶ声がする
こんな所に知り合いはいないが誰だろうと振り向くと九州のサッチャンだった
サッチャンはリタイアしたと言っていたが、残念だったね~、サッチャンは
いつ会っても屈託の無い笑顔が素晴らしい女性である、有難うサッチャン
レース後は預けてある荷物を受け取り、また市内循環バスにて宿舎へ帰るのだが
階段を登らねばならない、皆ガニマタで登っていく、私も途中で転げそうになった
宿舎に帰り余韻に浸りながら風呂に入る、夕食を頂き、カンビール二本を携えて
部屋に戻り、一人で乾杯だ、完走出来て良かった~、四国まで来た甲斐があった
翌日はバスにて帰るのだが、桂浜に寄る観光コースが設定されていた、竜馬に会える
桂浜の竜馬像の麓には、竜馬の店、などと言うお土産屋もあり竜馬が知ったら何と言うか
山形の最上川の船下りでも松尾芭蕉を売り物にしていたが、現代人は皆商売にしてしまう
芭蕉も竜馬も、性格的にこんな事を知ったら許さないだろうと思った
土佐が生んだ坂本竜馬は偉大であったが、維新の回転は竜馬一人の為せる業ではない
時代の潮流がそうさせたのだが、坂本竜馬の功績も大きかった
犬猿の仲であった薩摩と長州を竜馬が斡旋し、薩長連合を実現した事で
一気に倒幕へと進んだのである、大政奉還の大仕事も手掛けた。
銅像の坂本竜馬は男前過ぎた、写真で見るようにぶっきらぼうな竜馬が良いのだが
桂浜も美しかった、土佐の高知へ来て本当に良かった、今度はお遍路で来たい
真青なる秋の空へと竜馬像