12月4日、午前6時起床、起きて直ぐ例によってストレッチ開始
今日は敦賀半島にある、「色が浜」を見に行く
芭蕉は敦賀で月を見るのを楽しみにしていた、明日は十五夜、晴れるだろうかと宿の亭主に
聞くと、北陸路の空は天気が変わりやすいのでわかりませんと言われた亭主の言葉にたがはず
雨降るとなって
名月や北国日和定めなき 芭蕉
と、詠んだ、そう云えば、私の地方に良く似た天候で、今晴れていたかと思えばいきなり雨が
降ったりするのが日本海側の特徴である
弁当忘れても傘を忘れるな~、と云われるくらいなもの、翌日、芭蕉は歌枕の地
「種の浜(今は色が浜)」を見に行く
十六日、空霽たれば、ますほの小貝ひろはんと、種の浜に舟を走す、海上七里あり
天屋何某と云もの、破籠・小竹筒などこまやかにしたゝめさせ僕あまた舟にとりのせて
追風時のまに吹着ぬ浜はわづかなる海士の小家にて、侘しき法花寺あり、爰に茶を飲酒を
あたゝめて、夕ぐれのさびしさ、感に堪たり。
寂しさや須磨に勝ちたる浜の秋 芭蕉
波の間や小貝にまじる萩の塵 芭蕉
午前7時発のバスで「色が浜」に向かう、今日の天気は曇り、予報は雨から雪
今の所降ってはいない、色が浜には、行きはバス、帰りは走る予定
道路状況を見て判断しようと思い、景色と同時に道路の状態も観察しながら向かう
景色はそりゃ~、最高です、左は全山紅葉を仰ぎ、右には敦賀湾
晴れていれば越前岬も臨まれると云う景色です、乗客は出発時私一人、途中で一人
乗ってきたので2名になったがこれじゃ商売にならんな~
一日3便しかないのも頷ける、道路状況はと云うと、敦賀市内から2kほどは歩道があったが
山間に入った所でなくなってしまっている
アップダウンな道はしょうがないとして、帰りもバスに乗った最大の要因は、凍結を防ぐために
道路の両側から散水してるのを目にした時
それも半端な量ではない、物凄い勢いで散水している、こりゃたまらん、一晩中エアコンの下で
乾かしたシューズがびしょ濡れになってしまう
この一点だけで、帰りもバスに乗る事を決めてしまった、7時32分、色が浜到着
運転手さんに帰りは何分後にここを通りますかと聞いた
30分後位と言われたので、30分あれば充分、色が浜の集落に入って行く、バス亭を降りて
右へ海岸方面に看板が出ているので直ぐに分かった
先ずは芭蕉杖留の本隆寺へ、西行の歌とともに先に書いた芭蕉の句碑があった、お寺自体は
簡素で小さなお寺だ、一通り写真に収め、海に出て見る
色が浜は海水浴場になっているようで、芭蕉が、寂しさや、と詠った光景は今は昔のようで
小さな漁船などもあり、決して寂しい所ではない
冬の海艫解く小船色が浜 みのさん
時間が来たので再びバスに乗り敦賀市内へ戻る、気比の松原バス亭で降りて
気比の松原の砂浜を歩く、さすがに日本三大松原に数えられるだけあって見事なもの
誰一人いない砂浜をゆっくりと歩く、今朝は波も穏やか、打ちよす波の音が心地よい
途中から松林の中に入って見た、中には遊歩道があり地元の人が何人か散歩している
ジョギングしている人にも一人会った、夏などは松林が日陰になって練習には最適でしょうな~
波の音と気比の松原冬景色 みのさん
これから敦賀市内で、芭蕉の足跡を数ヶ所訪ねる、松林を抜けてさらに真直ぐ進み小さな川を
越えると、左手に「あみや旅館」が見える
旅館の裏側の駐車場の端っこに「奥の細道天屋玄流旧居跡」の石碑があった、天屋玄流は
芭蕉が、色が浜へ行く時に船を出したり弁当や酒も用意したと云われている
元の道に戻り、山車会館の所を右に曲がり、少し行った左側に「レストランうめだ」と
云うのがあり、そのまん前に「芭蕉逗留の宿出雲屋」の石碑が建っている
芭蕉は、出雲屋では大変良くしてもらったので、敦賀を去る際、竹の杖と傘を残したと
伝えられている、もう一件、市民文化センターに芭蕉句碑がある、ここも見にく
正面玄関の右側に、何やら偉い人の像の横に石碑がある、また元の道に戻り左に曲がり
真直ぐ進んでいくと「金前寺」に行き当たる、ここには「新田義貞軍」が足利軍に敗れ
軍鐘をこの浜に沈めたことを詠んだとされる「芭蕉の鐘塚」があった
月いずく鐘は沈る海のそこ 芭蕉