長谷寺を出て、ちょうどお昼時。台風の後しらすの漁が再開、生しらすが有りますの呼び声に誘われて昼休憩。ρ(゚○゚)σ(゚~゚)




来迎寺で検索をして海の方へ向うが、此処で失敗をしてしまう。鎌倉三十三観音霊場には来迎寺の寺名が二箇寺有り十四番札所の方へ向ってしまう。とても遠回りをする事に成ってしまったw(☆o◎)w
鶴岡八幡を廻り込む様に源頼朝公のお墓を目指しながら少し手前を山道を登って行く。丁度、八雲神社の祭礼の日であり神輿等が出ている脇を来迎寺へ。

本堂の中央にまつられている本尊の右側に、鎌倉三十三所観音霊場の第5番札所の本尊・如意輪観世音菩薩が安置されています。
 6本の腕を持ち、そのうちの1本に如意宝珠を、また別の手の指先では法輪を支えていることから、如意輪と呼ばれています。かつて頼朝の持仏堂であった法華堂にあったものと伝えられ、安産の守護尊としても信仰されています。











安養院を後に県道を鎌倉駅に向かって長谷寺へ o(・_・o)-8"=з=з
台風一過の日差しが少し堪えて来た。少しのんびりしながら。
最近TVでやっていた、すみ屋さんやお団子屋さんなど冷やかしながら長谷寺に到着。

寺の縁起によると、霊夢を得た徳道上人が721年(養老5)に大和(奈良県)の初瀬で1本の楠から2体の像を造り、1体を奈良の長谷寺に安置し、もう1体は縁ある土地で民衆を救ってくれるようにと願って海に流しました。
 16年後、漂着したのが三浦半島の長井の浜。その観音像をこの地に移してまつったのが、鎌倉・長谷寺の観音さまです。
 長谷寺の本尊であり、鎌倉三十三所観音霊場の第4番札所の本尊でもある十一面観音像。高さ9.18m、漆箔・寄木造の巨大な観音さまで、右手に錫杖、左手に蓮華をさした華瓶を持つという独特の姿をされています。これは長谷寺式十一面観音と呼ばれる形で、地蔵菩薩の衆生救済と観世菩薩の現世利益を合わせもつ仏様として信仰を集めています






二番札所を後に三番札所はどちらへ行けば辿りつけるのか鶴岡八幡の方角を確認 ☆-(^ー'*)県道311号線鎌倉葉山線へ、何処も一緒で車の運転は荒い。なんとか安養院へ到着、出来ればこの時期で無くつつじの時期に来たい場所である。

安養院は、新田義貞の鎌倉攻めで焼失し,大町にあった善道寺(ぜんどうじ)跡に移るが,その後も延宝八年(1680)に全焼。その再建のとき比企ヶ谷の田代観音堂を境内に移す。それが田代観音です。 観音堂はもと白花山普門院と号していました。本堂には,本尊の阿弥陀如来坐像とその後ろに千手観音立像(田代観音)が安置されています。
 札所本尊の千手観音立像(田代観音)は,胎内に田代信綱の守本尊竜樹筆千手観音画像が納められています。