今日は我路では以下のようなお勉強をして帰りました。
記
文春掲載の記事にp119にこんなことが書いてある。
「ワクチン接種後、多彩な皮膚症状(湿疹など)の患者が増えています。
そこで、繰り返し症状が起こるある患者の皮膚を調べると、汗腺の細胞からスパイクタンパクが発見されたのです。
コロナ感染歴はなく、恐らく1年半以上前に接種したワクチン由来です。」
この後が私見です。
今頃、やっと週刊誌の記事に掲載され始めましたが、私はワクチンなどの弊害については「インフルエンザワクチン」など」の情報から昔から知っていました。
だから、インフルエンザワクチンは一度も打ったことはありませんでした。
しかし、「コロナウイルス」についてはスペイン風邪以来百年に一度とかの煽りや自身の既往症に「肺湿潤」があったこと、それと塾の代表者ということもあり対世間体を慮り受けました。
海外に出かけるパスポート発行に最低限必要な2回?3回?を目安にファイザー社のを3回打ちました。
免疫力が日頃から高いせいもあり、副作用(副反応と意図的トーンダウンもあった)は全くなく、その後もピンピンしています。
しかし、家内は週刊文春の記事にあるような多彩な皮膚症状(湿疹など)に今年になってから悩まされ始め、アムエイ友だち所有のメタトロンで調べて初めてワクチン由来だと自覚し始めたのです。
私は常日頃「自分の身体は自分で守る」ということを徹底するようにしています。そのため事前に本物情報を得る努力を毎日欠かさずやっています。
それは、小学1年生の時に前述した「肺湿潤」に罹って平戸市田平町の谷川病院に3ヶ月で入院生活を余儀なくされました。
それだけではなく、体調が回復した後も3年生まで体育は全て「見学」という辛い不幸な下級生時代でした。
運動、身体を動かすことを「見て学べ」ますか?「見て学べ」なかったから、その後6年生まで同期生からはバカにされました。(シカトする、仲間外れにする、今で言うイジメの一種です)
しかし、その代償行為として算数国社の成績は抜群でしたので、何とか無事中学生になることができたのです。
そんな私に中学時代には救世主が現れました。体育教師の井手嘉徳先生でした。中1からバスケ部に入りましたが、下手くそだけど何か見所があると思われたのか、部活終了後に先生による師弟同行が始まったのです。
井手先生(大学を出たばかりの独身)と一緒にキャッチボール、軟式テニス、長距離走などを家が2kmぐらいと近かったこともあり、遅くまで付き合って頂きました。
そのため中1時に早くも長距離走に自信が芽生えて成績も5(当時は優)が貰えるレベルになりました。
そんな少年時代の様々な体験から特に教職員になってからは身体を動かすことを日課にしてきました。
特に長崎日大に入るきっかけとなった玉城亀保校長先生(猶興館の3年間の校長先生)からのサゼスションで職員チームの走ろう会に入会したのも私が毎日身体を動かすという好機になりました。
(中略)
そんな長い長い体験から今では「自分の身体は自分で守る」という確固たる信念までに昇華出来たのでしょう。