これから少しずつ^^ | 「宝石人生」始まりは14歳 刀根川 実のプライベート。

「宝石人生」始まりは14歳 刀根川 実のプライベート。

世界一の宝石集散国タイと東京で、お客さまと楽しい宝石人生。 刀根川 実のプライベートブログ

これから、少しずつ、今までの起業体験などを


話させていただきますので、今後のご自分の


ご参考にしていただいたり、何だかのヒントに


していただけたら嬉しいです。



先ずは、生い立ちを話させていただこうと


思うのですが、あまり興味が無い方が多いと


思われますので、さら~っと簡単に^^



1966年(昭和41年)7月13日 


他界した父と同じ日に、


刀根川家の二男として、


4歳年上の兄の弟として、


横浜市南区の病院で生まれました。


住んでいたところは、今でも実家として


存在するのですが、母方の実家で、


母は、5人姉妹の2番目で、


父親=私のお爺ちゃんは、


日本で最年少で警察署長になったという


方でしたので、結構厳粛と申しますか、


古いしきたりの感じで育てられた


思い出があります。



父方の方は、お爺ちゃんは写真屋さんで、


当時長野の善光寺の境内付近で、


お店を構えていたそうです。


早くに父を亡くした、父親は親戚に育てられ


たそうです。


親戚は、皆、歯医者さんで、今でも長野には、


刀根川歯科という看板が出ておりまして、


小さいころに初めて親戚を訪ねた時に、


「同じ字の名前 刀根川 」を初めて見た


という記憶があります。



そんな関係もありまして、今は起業して、


多角なビジネスをしておりますが、


兄は、元歯科技工士、義理の姉は、


元、歯科衛生士さんです。



ちなみに、私の父は、通信士で、船に乗って、


世界を巡っておりました。


もちろん、タイも定期で来ていたこともあり、


僕が学校を卒業する時に、タイへ行くと、


相談した時も、二つ返事で快諾してもらえ、


逆に、このことで、学年主任の先生と、


担任の先生が、余りに事が、スムーズに


進み過ぎてしまったせいか、本当に快諾か


両親と話がしたいとのことで、


話し合いの場が持たれた記憶がございます。




小学校2年生までは、


大岡川の流れる横の、大岡小学校へ通い、


その後は、二十歳でタイバンコクへ出るまでは、


横須賀で過ごしました。


母校のヒコ水野宝石専門学校のある、


渋谷へは、横須賀から、毎日往復3時間


上かけて2年間通いましたので、


授業が終わったら、渋谷駅へダッシュです、


JRの品川まで行って、京浜急行か、


渋谷からそのまま、東横線で横浜まで、


その後は、乗り換えて、京浜急行で、


横須賀までと、飽きない程度に変えながら、


2年間通っていました。


次回は~僕がこの宝石業界を選ぶ


要因になった話をさせていただきますね^^