私の父は新婚間もない時期に早稲田鶴巻町に住みながら、村田簿記学校で経理を学びました。

そのお陰で第二次世界大戦時には小卒なのに、陸軍主計大尉まで登りつめてラバウルから無事生還しました。

それから、戦後帰還すると田平農協に雇われ、後早田町長に請われて田平町収入役に、また梶川町長に請われて助役になりました。

しかし、母から町長に立候補したら離婚だと言われて断念し、助役退職後は在職経験を活かした社会福祉協議会理事長を経て最後は行政書士事務所を開きました。

でも、役場在職中の無謀とも思える毎夜の接待宴会続きが病魔を招き、私の歳の満75歳で帰らぬ人となりました。

父の人生で一番輝いていた時代はこの村田簿記学校時に新婚ほやほやにも関わらず東京にいたことだと私は思っています。

ただ、一つ解せないのは当時新婚でありながら、島原出身の前田さんと同じ家に住んでいたという逸話です⁉️

今はもう確かめようがないのでずか、少しでも家賃をシェアしたいと考えていたのかも知れません⁉️