「太陽の塔」についてはこちら♪(^ー^)b

 

●「太陽の塔」の特集番組を観たよ。「太陽の塔」は子供の頃、行列ばかりで外見しか見た記憶が

無かったのだが、改めて内部の「生命の樹」とか、テーマの大きさと深さに圧倒された。原哲夫先生

や辻秀輝君には「蒼天の拳リジェネシス」を描く上で是非直接観に行って欲しい。絶対イメージや

インスピレーションが沸く筈だ。「進歩と調和」をテーマとし、科学技術賛歌の為に開催される筈

だった大阪万博。しかし、塔のプロデュースを依頼された岡本太郎は敢えてここに異質なものをぶつけた。

近代的な科学文明へのアンチテーゼ、「太陽の塔」である。岡本太郎はアンチテーゼのつもりは無かったかも知れない。

「太陽の塔」を置く事で万博は初めて「調和」するのだから。「太陽の塔」の内部には「生命の樹」が築かれている。

学術的な裏付けに徹底的に拘って作り上げた、進化の過程を忠実に描いた系統樹だ。

「生命の樹はそれで1つの生命体」なんだそうだ。そこで他のどれよりも大きく描かれているのが、最下層の「アメーバ」。

色んなイメージが沸いてくる。共通祖先(原始生命体)、蟲、バクテリア、プランクトン、葉緑体、受精卵、ミトコンドリア。

現代最先端の「ゲノム編集」に使われる「クリスパーキャス9」は石野良純教授が古細菌の

研究の中で見つけ出したものだ。石野教授は地元で開催された大阪万博を何度も見て育った。

生命の根源、エネルギー、原点回帰、ルネッサンス。複雑になり、選択肢が多くなり過ぎた現代社会。

岡本太郎は「科学の進歩さえあれば皆幸福になれる」と信じられた高度経済成長期に「アメーバ回帰」を訴えた。

「皆、単細胞のアメーバから始まったんだ」と。「無機質な科学万博」に敢えてぶつけた「有機的な生命の樹」という問題提起。

諸星大二郎もその昔「1つの生命体に融合すれば差別も無くなる」という「究極の調和」の話を描いたっけw

「生命の樹」は宇宙へと伸びてるんだそうだ。どこかノスタルジーを感じさせる世界観。「生命の樹」は神経や血流の様でもある。

正に「経絡秘孔」。森羅万象二極一対。男と女、生と死、魚と鳥、戦争と平和、創造と破壊、東洋と西洋、北斗と南斗。

南北問題や貧富の格差にも繋がる、「人間とは何か?」という問い掛け。生物全体を支えている、進化

の頂点としての、人間文化の多様性。正に「リジェネシス(再創生)」にピッタリですよ、原先生w

「生命の樹」を観る為にはまず「地下展示空間」を通らなければならない。そこには世界中の部族の仮面や神々の像を収集したものが展示されている。

多くの部族がキリスト教の布教活動で破壊された。「産業革命」を支えたものもアフリカ奴隷狩りによる「三角貿易」だった。

それらの展示物は著名な芸術家が造ったものではない。一介の部族、民衆が作ったものだ。

ここには生命の本質があり、幸せや生き甲斐、進化の過程で置き忘れたものにも通じる。

それでいて、子供が見ていて「楽しく感じる」のである。人間の逞しさ、人間賛歌。岡本太郎は北斗と一緒だ。

「矛盾するもの2つのぶつかり合い」を創作のテーマにして来た岡本太郎は、縄文土器を「日本

の美の原点」として初めて紹介した芸術家でもあった。日本人のルーツ、グレートジャーニー、

民族の生命力、原始の造形物。「太陽の塔は仮面をつけた土偶なのだ」と井浦新は言っていた。

「太陽の塔」は日本初の「国立民俗学博物館」設立にも繋がった。「対極、ミスマッチなものの衝突で起きる火花」

が岡本太郎の考える人生哲学、芸術だ。縄文は火山や祭りも連想させる。再生、太古と近未来、時間と空間、進化論。

「太陽の塔」に描かれた3つの顔は「過去・現在・未来」を表わしてるんだそうだ。輪廻転生や宇宙の循環にも通じる。

「地底の太陽」も描かれている。地球は内と外に「2つの太陽」を持っている。「太陽とコア」だ。

14~19世紀の「小氷期」は「太陽活動と火山活動」の2つの異常でもたらされた。

「宗教は火山を説明する為に出来た」と言う学者もいるくらいだ。「日と火」。「縄文土器」は「火の土器」である。

「太陽の塔」は扱うテーマが物凄く大きい。そして、圧倒的な深さだ!原先生や辻君も是非観に行って欲しい!