みのるです。
庭のブルーベリーの木も、花をつけました。
前回の、「難病と就労訓練校」についての記事、多くの人に見てもらえて嬉しいです。何か少しでも参考になればと思います。
今回は、ハローワークで「難治疾病患者」として登録し、就職した話についてまとめようと思います。
ハローワークを利用するに至った経緯
休学をして、その冬に救急搬送され、緊急手術をして、春に大学を辞めました。
その年の夏に、近くのとあるお店でハンドメイド品の販売をさせてもらうようになり、内職などももらうようになりました。
そこで縁があり、内職をくれていた、とある事業主さんから、「短時間でいいから、パートで働かないか」と声をかけてもらいました。
嬉しいことだと思い、その話に飛びつきました。
ハローワークに求人を出しているから、そこで「難治疾病患者」として登録し、応募してほしい、と。
この時は、何も疑問に思っていませんでした。
私はとにかく将来に不安を感じていました。
こんな体調・体力でも雇ってもらえるかもしれないなんて!!
そうなれば、何でもやるつもりでした。
いざ登録。そして就職。
ハローワークで、「難治疾病患者」として登録しました。
登録するとき、担当者の方に、「一般」で登録したほうがよいのではないかと言われました。
あなた普通に働けそうだし、病気があることを公表することで、選択肢を狭めてしまうかもしれないよ、と。
うーん、普通に働けないから、今仕事がないんだけど。
私はこの時が、ハローワーク利用初回。
知識も経験もなく、内職をくれていた人の、「難治疾病患者で登録するんだよ」という言葉に、何の疑問もなかった。
無知って怖い。
無事登録して、求人に応募して、面談をしました。
1日4時間、週5日で働き始めました。
基本的に事務作業。これならやっていけるかも?と思っていました。
しかし、5ヶ月くらい続けたところで、やはり体調が悪くなってきました。
悪口を言うわけではないですが、契約以外の仕事や、時間外労働、毎日電話がかかってくる、昨日と今日で言ってることが違う、理不尽な責任転嫁をされるなど、負担がどんどん増していました。
でも、こんな身体の私を雇ってくれるなんてありがたいことなんだ。そう思って、無理をし続けました。
そして、救急搬送。
あーあ、いつものパターン。
そしてそこからパニック障害を発症。
全く外に出られなくなりました。
パニック障害になってからも、1ヶ月ほどは仕事を続けていました。
すぐに病院に行ければよかったのですが、身体の持病の関係により、精神科の予約は最速で半年後。
仕事の時間が近づくたび、雇い主から連絡が来るたび、パニック発作を起こし、続けることに限界を感じました。
毎日苦しくて、死にたくて仕方なかった。
「難治疾病患者」で登録の目的は?
仕事を辞めたいと申し出たとき、雇い主の態度は手のひらを返したように変わりました。
言葉では言われてないですが、
「裏切ったな、てめぇ」
みたいな、恐ろしく冷たい態度に変わったのです。
もともと、病気のことは話していた。休むことは多かったが、理解があるような態度でした。
実際、理解はあったと思います。そこは感謝しています。
ではなぜ、「辞める」と言った時点から、態度が一変したのか。
ここに来て、私は改めて「難治疾病患者雇用枠」について調べました。
調べてみるとこれ、別に「難病患者本人」には特にメリットはないんですよね。
いや、前もって病気があることを知ってもらえるのはメリットかもしれないですけど…。
これ、「難病患者を雇った事業には、助成金をあげますよ」ということらしいのです。
この制度によって、難病患者を雇ってくれるところは増えるのかもしれない。(実際どうなのかは知らんけど)
でも、事業が助成金をもらうには、もちろん条件があって、確か、「難病患者が週20時間以上、6ヶ月継続して働くこと」だったかな…?
(私の時はそうでした)
私がこの仕事を辞めた時、この条件を満たせていなかったんです。
5ヶ月しか働けなかったから。
んで、条件が満たせない状態で「辞める」と言ったので、雇用主の態度が一変したのではないかと。
体調も体力も不安定な奴を雇ってやったのに、助成金もらえないのかよ。
と思われたんでしょうね。考えすぎですか?
そういう態度だったのですが。
心が一気に冷めました。
立ち上げて1年も経っていない個人事業。資金に苦労しているのは知っていましたが、私を雇うことによる、助成金目当てだったのかー。
「難治疾病患者雇用枠」にやたらとこだわっていたのも、そのためだったのかと今ではわかります。
私が無知だったのも悪かったし、こういうところばかりではないかとは思いますが、もし、この制度を利用しようとしている方がいれば、こんなこともあるんだ、くらいに参考にしてもらえれば幸いです。
働くって、生きるって大変。。