大学時代、
とてもお世話になった宮下誠先生が急逝した。
まだ48歳の若さだった。
パウル・クレーを筆頭に、
美学・芸術学の気鋭の研究者として、
クラシック音楽評論に一石を投じる開拓者として、
最近は矢継ぎ早に著作を刊行し、
いよいよこれからという時に突然の死。
あまりの事にしばらくうろたえてしまった。
先生は時々講義の合間にご家族のことを話されていた。
ご遺族のの方々の深い悲しみを思うと、
ただただうなだれるのみである。
先生は
面倒見が良く、気さくな人だった。
「本当はキャバレーの呼び込みをやりたかった」
という発言を聞いたことがあるけれど、
大学の教授(当時は助教授だったが)らしからぬ諸々の言動に当初は強い印象を受けた。
多弁で若干クセのある言動を嫌う学生も居なくは無かったが、
それ以上に慕う学生が多かった。
私も先生が大好きだった。
先生の紹介する本は例外なく面白かった。
先生は知的態度という物を非常に重要視していたように思う。
アカデミズムの立場というものについて自嘲的に茶化しつつ、
その実は自分が芸術学の一線に立っているという事に強い誇りと意識を抱いておられたし、
我々学生にも同様の矜持を求めた。
それは時々鼻につかないことも無かったのだが、
学問に携わるものとしての意識の高さと言うものには非常に感銘を受けた。
感銘と言うよりも感動と言ったほうが良いかもしれない。
その最たるものが言葉への強い意識であった。
先生は言葉について繊細で厳格な態度であることを求めた。
巷の出版業界の言語的退廃についても度々苦言を呈していた。
この世のあらゆる学問や教養、
森羅万象は「言葉」に帰結する。
だから研究者にとって、
言葉に対する態度は最も基本的で重要なものである、
と先生は言いたかったのだと思う。
言葉に対して厳格に挑み、
大切にする事の重要さを教えていただいたのが、
先生から授かった最も大きな教えであった。
まさかあの人が、
という人の死に直面するのは避けがたいものである。
本当は人間の死に
「まさかあの人が」
などというものなどは無い。
先生の死も、
他の人々と同様に必然の偶然ではなく、
偶然の必然として訪れたものだからである。
とはいえ、
巨大な知がぽっかりと抜け落ちてしまったような虚脱感がどうしても湧いてくるのである。
宮下先生、
そういえばこんな事を思い出しましたよ。
先生が鎌倉に転居された際、
門柱に掲げた言葉の話を。
その門柱にはイタリア語で確かこう書かれてあったはずですよね?
【Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate'】
つまり、
「汝等ここに入るものは一切の望みを棄てよ」。
これはダンテの『神曲』における地獄の門の碑文でしたね。
先生も「神曲」におけるダンテのように地獄の門をくぐり、
ウェルギリウスに導かれて地獄や天国を巡っているのでしょうか?
ベアトリーチェには会えたのでしょうか?
今朝から暇を見つけては先生の遺された講義録を静かにめくっています。
そこはまるで先生が目の前に蘇ったような言葉の氾濫です。
ページをめくると、
短い間でしたが共に過ごさせていただいた日々が鮮やかに蘇るのです。
こういった本を遺していただいたことに深く感謝しています。
今はまだ事態を受け容れる事ができず、呆然とするばかりです。
大学で講義を続けていらっしゃるようにしか思えません。
かつての教え子としては、
どうか安らかに、
と言うのが精一杯です。
とてもお世話になった宮下誠先生が急逝した。
まだ48歳の若さだった。
パウル・クレーを筆頭に、
美学・芸術学の気鋭の研究者として、
クラシック音楽評論に一石を投じる開拓者として、
最近は矢継ぎ早に著作を刊行し、
いよいよこれからという時に突然の死。
あまりの事にしばらくうろたえてしまった。
先生は時々講義の合間にご家族のことを話されていた。
ご遺族のの方々の深い悲しみを思うと、
ただただうなだれるのみである。
先生は
面倒見が良く、気さくな人だった。
「本当はキャバレーの呼び込みをやりたかった」
という発言を聞いたことがあるけれど、
大学の教授(当時は助教授だったが)らしからぬ諸々の言動に当初は強い印象を受けた。
多弁で若干クセのある言動を嫌う学生も居なくは無かったが、
それ以上に慕う学生が多かった。
私も先生が大好きだった。
先生の紹介する本は例外なく面白かった。
先生は知的態度という物を非常に重要視していたように思う。
アカデミズムの立場というものについて自嘲的に茶化しつつ、
その実は自分が芸術学の一線に立っているという事に強い誇りと意識を抱いておられたし、
我々学生にも同様の矜持を求めた。
それは時々鼻につかないことも無かったのだが、
学問に携わるものとしての意識の高さと言うものには非常に感銘を受けた。
感銘と言うよりも感動と言ったほうが良いかもしれない。
その最たるものが言葉への強い意識であった。
先生は言葉について繊細で厳格な態度であることを求めた。
巷の出版業界の言語的退廃についても度々苦言を呈していた。
この世のあらゆる学問や教養、
森羅万象は「言葉」に帰結する。
だから研究者にとって、
言葉に対する態度は最も基本的で重要なものである、
と先生は言いたかったのだと思う。
言葉に対して厳格に挑み、
大切にする事の重要さを教えていただいたのが、
先生から授かった最も大きな教えであった。
まさかあの人が、
という人の死に直面するのは避けがたいものである。
本当は人間の死に
「まさかあの人が」
などというものなどは無い。
先生の死も、
他の人々と同様に必然の偶然ではなく、
偶然の必然として訪れたものだからである。
とはいえ、
巨大な知がぽっかりと抜け落ちてしまったような虚脱感がどうしても湧いてくるのである。
宮下先生、
そういえばこんな事を思い出しましたよ。
先生が鎌倉に転居された際、
門柱に掲げた言葉の話を。
その門柱にはイタリア語で確かこう書かれてあったはずですよね?
【Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate'】
つまり、
「汝等ここに入るものは一切の望みを棄てよ」。
これはダンテの『神曲』における地獄の門の碑文でしたね。
先生も「神曲」におけるダンテのように地獄の門をくぐり、
ウェルギリウスに導かれて地獄や天国を巡っているのでしょうか?
ベアトリーチェには会えたのでしょうか?
今朝から暇を見つけては先生の遺された講義録を静かにめくっています。
そこはまるで先生が目の前に蘇ったような言葉の氾濫です。
ページをめくると、
短い間でしたが共に過ごさせていただいた日々が鮮やかに蘇るのです。
こういった本を遺していただいたことに深く感謝しています。
今はまだ事態を受け容れる事ができず、呆然とするばかりです。
大学で講義を続けていらっしゃるようにしか思えません。
かつての教え子としては、
どうか安らかに、
と言うのが精一杯です。
