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私のことをこれからシリーズにわけてお話していこうと思います。

好きログでは質問を大事にしています。
自分の年表や取扱説明書を書いていく気持ちで、私と一緒にぜひ読んでくれている方も答えてみてくださいね。

 

高校生時代


 

どんな高校生だった?


平凡に田舎の小中学校を公立で卒業し、推薦で入った高校は農業高校の畜産科。

実は小学校の夢で「観光牧場で働きたいなぁ」と漠然と思っていたのですが、偶然にも家から二駅ほどのところに農業高校がありました。

畜産がある高校は珍しく、県内から色んな個性あふれる同級生に恵まれました。クラス替えはなくひとクラス3年間皆で農業を学びました。

 

農業高校の授業は少し変わっていて、農業基礎や畜産、食品加工などを普通の授業と同じように学びます。

そのかわり普通の授業は少なめ。

そして畜産科なので、ひとり一羽ヒヨコを鶏に育てて、自分で屠殺して料理にする「命の授業」があったり

牛や豚の交配から出産、飼育、出荷まで行ったり、クレーン玉掛けの免許を取ったりと面白い経験をたくさんしました。

3年生の時に課題研究を行うのですが私は子羊二頭の担当になり1年間お母さんになりました。

羊の先輩と呼ばれていました(笑)


学園祭の広報誌に載った時の。

 

人生の転換期は?


多感な時期、バイト(コンビニ→バーミヤン笑)をしたり楽しく過ごしていましたが周りの目が気になったり女子高生特有の「痩せていた方が可愛い」という意識から食べないダイエットを始めました。

それがきっかけで高校2年生の時に拒食症になってしまったのです。

 

両親から愛されていないのではという心の欠乏感が加速し、周りの評価が怖くなっていきました。

もともとネガティブ思考なのもあり母に愚痴をこぼしていたときに、当時母もいっぱいいっぱいだったと思うのですが

「あなたと話していると暗い気持ちになる」

と言われガーン

そこから自分の気持ちを表に出さなくなって、今も人に自分を開示することが苦手です(唯一、夫が根気強く言いたい事を話しきるまでちゃんと受け止めてくれたおかげで、夫にだけ話せるようになり、今は両親にも話せるかな…という感じです)

 

体重はどんどん減っていき生理も止まったのに食べるのが怖くなってしまい、授業にもついていけなくなる日々が続きました。

そして「痩せていなければ愛されない」という概念から、ある時父が母に「あの子をどう育てていけばいいかわからない」と言うのを聞いてしまい、そこから一気に過食症へと走るのでした💦

※いまは父と母とは仲が良いです!

 

当時絶対的存在で、いっぱい迷惑をかけたとは言え大好きだった両親に見捨てられてしまったショボーン
という気持ちからどんどん自暴自棄になっていきました。

 

それまで普通体型から拒食症で5キロ痩せてガリガリになり、そこからリバウンドで10キロ太ったのです。

背が小さいのと顔に出るので、体重の増減は周りから見ても明らかだったらしく「太ったね!」とめちゃめちゃ言われました。

学年はひとつ上がり高校3年生になっていました。

ただ何故かわからないのですがそれだけ太っていたのにも関わらず人生一モテ期のピークでした笑い泣き

バイト先で連絡先を渡されたり自転車置き場で他校の人から告白されたり、後輩や同級生から年上まで10人くらいの人に好意を向けられましたが全てお断りしました。最終的に20歳で結婚した夫と出会うことになるのですがキョロキョロ

 

卒業後は?


当時の親友のサポートもありそんな事がありながらも高校は無事に卒業。

研修先の牧場で「私に牧場は向いてないぞ」と思い将来の夢を方向転換!

大学に行くつもりもなく勉強も得意では無かったので、専門学校へ行くことを決めました。

最終学歴を高卒ではなく専門学校卒にしたかった事、学校見学で就職率100%だった事、親友も同じところに行くと聞いて都内の専門学校に決め、トリマー科に入りました。

 

両親とのその後は?

 

都内という事で当然ひとり暮らしをすることに。

両親との仲はまだしこりが残ったまま、高校卒業後逃げるように家を飛び出し、そのまま実家に住むことはありませんでした。

実家にいた18年と同じだけの月日が経ち、両親から離れて自分で生きてきた事をしみじみ頑張ったな〜と思いながらも、あの時次の日でもいいじゃないという母の手を振りきって飛び出してしまったあの夜の事を今でも思い出します。

最後だと知っていたなら、ちゃんとお礼を言って、しっかりと向き合って別れたら良かった。

 

その後、弟と妹も親の過干渉や色々あり皆さっさと18歳で家を出て行きましたが、実家との仲はかなり良い方で、弟妹家族と実家と我が家で集まることも多いので、うまい具合に親離れをさせたのかなと思います照れ

なんだかんだで、働きながら3人育ててくれた両親の事は皆すごく尊敬しています。

 

先日母が定年退職をし、兄弟でお金を出し合って時計と花束を送りました。

 

私も子どもを産んで初めて母の苦労やありがたみを知り、そして働く母親の等身大の姿を見せてくれて「お母さんみたいに働いて子どもを持ちたい」と思うようになり、いまは一番のロールモデルです。

 

続きます!

 

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