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私のことをこれからシリーズにわけてお話していこうと思います。

好きログでは質問を大事にしています。
自分の年表や取扱説明書を書いていく気持ちで、私と一緒にぜひ読んでくれている方も答えてみてくださいね。

 

幼少期の私


 

出身はどこ?年齢は?


1984年生まれ、神奈川県出身で、18歳で家を出るまでずっと神奈川で過ごしました。
いちおう本籍地は横浜でしたが育ったのは横浜から電車で30分くらい行ったのんびりしたところ。
三人兄弟の長女として生まれ、3歳下に弟、8歳下に妹がいます。

 

 

 

どんな両親だった?


両親はどちらも公務員。父は県の役所勤めで、母は小学校で特別支援学級の先生をしていました。
「THE・安定志向」がベースでありながらも、割とやりたいことはやらせてもらったように思います。
共働きだったので、兄弟皆生後半年から保育園に行っていました。
そのおかげか(?)大人になったら働くもの、という意識が自然と身についていたのかもしれません。

そして、私以外の兄弟も現在は全員公務員で、私だけ異端児として育ちました(笑)

 

 

どんな家庭だった?
 

本が大好きな家族で、家じゅういたるところに本がありました。
小説や難しい専門書のほか、漫画も児童書も雑誌もなんでもありました。
よく母の買っていた「オレンジページ」という主婦雑誌の読者投稿欄を読むのが好きな子でした。

 

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小さい頃の父のイメージは、仕事人間。
土日だけ一緒に遊んでくれるのですが、よく横浜に行って父の馬券(当時は競馬ブームだったんです)を買いに行く間、弟と近くの喫茶店で待ち、その後は横浜観光をするのが定番でした。
普段は優しいけど、ちょっと短気で、怒らせるととっても怖い人。
でも父のことは大好きで、中学生になっても一緒に二人で映画に行ったり中国に旅行に行っていました。
父の涙を見たのは、私が2~3歳の頃、祖母が亡くなった時。
その時の父の姿は私の一番古い記憶かもしれません。

小さい頃の母のイメージは、強い人。そしてずっと母でした。
仕事が忙しかっただろうに、平日は家事も育児も一人で回して、たまにイライラをあてられましたが絶対的に「母親」という存在の人。
友達親子、という雰囲気ではなく、お母さんはずっと「お母さん」という生き物なのだと思っていました。
母は、小学校の先生だったので私の入学式や運動会は全て欠席。
昔私は母に「お母さんは家にいるときも学校の先生みたいだ」と言った事があったそうです。
私は覚えていなかったのですが、母はその言葉を聞いてとてもショックを受けたみたいです(覚えていなくてごめんね)

小さい頃はどんな子どもだった?

小さい頃は逆上がりが得意で、保育園の劇も主役をやるくらいしっかりした子。
教育熱心だった両親のおかげで第一子という事もあり文字を早くに教えてもらいました。

 

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本だけはたくさん買ってもらったので、当時スマホもYOUTUBEもない時代、暇さえあればずっと本を読んでいました。
小学校から高校になるまで休み時間になるたびに図書室に行くような子だったので、他の子より少し多くいろんなことを考えていたのかもしれません。
小学校に上がると学童に入り、放課後は学童の漫画を読んだり、友達とセーラームーンごっこなどをして遊んでいました。
学童の先生が大好きでいつも抱っこしてもらっていました。

小学2年生の時に妹が生まれ、そこから小学校5年生くらいまでは普通に小学校生活を送っていましたが、5年生以降から次第に学校に行かなくなりました…

続きます!

 

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