「感謝せんとね」–

母の口癖だ。


それは私たち子どもにと同時に
母が自分自身に言い聞かせていたように思う。

その言葉を耳にする度に、むしずが走る。



私が親を見切ったきっかけとなったのは
大学受験だ。

本当は
大学なんて行く気はなかった。


中学の時にヤイコのファンになって
ものまねしているうちに歌う楽しさを覚え…

中学最後の文化祭で友人のピアノを伴奏に
宇多田ヒカルのFirst Loveでステージデビュー!

高校ではバンド活動に夢中になった。
初めてのライブハウスで、
練習スタジオで、体育館で
マイクの前に立って声を放つ時を重ねるごとに
魂が喜ぶのを感じた。


その頃から広島の街を気に入って
足を運ぶようになり、

ある歌のコンテストに参加した時に
東京の事務所の人にスカウトされた。


歌手ではなくタレントとしての声かけで
まだ高校卒業もその先も見据えていなかったので
その話はなかったことになった。

ただその出来事は私にとって
才能と魅力を認められたような自信になったし、
私の可能性を私に見せてくれた。


歌手になる。心に決めた。


しばらくして
高校卒業後の進路を決めるため
いよいよ父に打ち明ける時が来た。
母は私の音楽活動をよく知り、応援してくれたが
父はあまり関心がないようだった。

こわかった。
たったひとつの本気の夢だったから。

父の部屋に向かう前、武者震いする私に
「泣かないようにね」と母が言った。
自信はなかった。


父の部屋の扉をノックし、
話があると言って
父の前に正座して、覚悟を決めた。


「歌手になりたいです。
   福岡の音楽専門学校に
   行かせてください」


どうしよう。もう泣きそうだ。
気づかれまいと下を向いた時
父が言い放った。


「歌手なんて…
   みーちゃんみたいな
   笑顔の暗いヤツにそんな
   人を楽しませるような職業が
   出来るわけがないだろう」

怒鳴り声を抑えたような冷たい声。
私はほとんど初めて絶望を悟った…


私そのものである大切な夢と
人格とを同時に否定された。
家族である父に。

そんな絶望感だった。
夢にときめいていた18歳の私には…きつすぎた。


「じゃあ…何になったらいいそ?」

あふれて止まらない涙と嗚咽の中から
やっと出した私の問いに
父は顔をしかめて
今度は戸惑った声で

「そりゃあ…
    みーちゃんは優しいから…
    看護婦とか…」

もう意味がわからない。
だったら私の暗い笑顔はどうなるの?


幼い私の脆い心は完全に折れてしまった。


その日を境に、
歌手の夢は語らなくなり

父の理想の人生を模索することになる。


だったらあんたの望むようにしてやる–


小さい頃から母より父が大好きだった。
その思いは憎しみに変わり、
けなされた夢を見返すための
充分なエネルギーとなった。


広島の大学の受験を提示した。
反対されなかった。

ただ、私立の大学なので学費が高い。
一般入試トップクラスの給付奨学金制度に受からなければ
大学は蹴ってそのあとはその時に考えよう…


猛勉強の末、首席で合格した。
入学式では新入生代表の言葉を述べた。


壇上に上がる自分は、
マイクの前だったけど
自分じゃない別人みたいだった。


見たか!父さん。
これであんたの自慢の娘になっただろう。
感謝しろ!!

心の中でにらみつけた。


18年間育った山口の家を出て、
大学からの100万円とひねきった心と共に
広島の地で新生活が始まった。


つづく☆