【要約】
今回のひとつ目の教材は、内田樹さん著の『だからあれほど言ったのに』から。
『学ぶというのは「別人になること」である』がテーマでした。
〈学ぶ 別人になる〉
無知・・・単に知識が欠けている...ということでなく、硬直化している 視点を変えることができない
無用の知識が頭に詰まっているせいで、新しい情報入力ができない状態のこと。情報を入れれば入れるほど無知になる。
よく論文を書くときに使う方法だけど、キーワード検索をして先行研究など調べるが、それは調べたいことしか知ることができない。結局のところ、自分で知ろうとしている世界だけしかわからない。新しい情報が入ってこない。なので、本当に学んでいるとは言えない...というお話でした。
知らない世界のことを知ることができる=本当の意味での「学び」
「別人になる」というのは、容器そのものの形状がどんどん変化する、容積も変化するし、機能も変化する。それが学び。連続的な自己刷新。
容器はわたしたち。なので、使う言葉(語彙)が変わり、表情が変わり、話し方(声)が変わり、立ち居ふるまいまですべてが変わっていく。
いろんな人に出会って生成変化する。生成変化は双方に起きる。なので、相手も変わる。そういう意味では、相手を変えようと思うと、自分が変わらなきゃいけない。
〈自分探しは危うい?〉
そういう意味で言うと、よく言われる「自分探し」は、ある意味危ういのかもしれない。「本当の自分」「確固たる自分」なんてものは、もしかしたらないのかも。なぜなら、どんどん変化して別人になっていくのだから。
学び続けると、どんどん変わっていく。知らない間に自分が消えていくくらいの世界になると幸せなのかも。「自分」というものへのこだわりがなくなるくらいの世界。
〈無防備 イノセンス〉
子どもが自己刷新するためには、無垢で無防備な状態を一時的に通過する。
「無防備になれる」ことは、高度な社会的能力と言える。
知的であるということは、無防備であることだから。
自己防衛に習熟すると自己刷新のチャンスを失う。
「学び」が閉じられてしまう。
教育において、子どもたちのイノセンスを守ることが大事。
〈特別支援教育にしがみつかない〉
特別支援教育にしがみついていてはダメかもしれない。
特別支援教育の視点での授業運営はうまくいかなかった。無力だった。特別支援教育のなかにヒントはあるが、学級崩壊や不登校にはあまり役に立たなかった。
協同学習がカギになるかもしれない。授業を変える。学校を変える。
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二つめの教材は、これまでの続きのドゥルーズ+ガタリの「千のプラトー」。難しいところをやっています。少しずつ少しずつ、先生の解説を聴きながら読み進めています。
〈千のプラトー」(続き)〉
・エクリチュールを量化する
「エクリチュール」・・・言葉遣い
「量化」・・・ある一定の決まりごとのなかに落とし込んで意味づけをする
・存立平面(本のなかに入っている)
言葉にするとわかること
→うっすらわかっているけれど、はっきりわかっていなかったこと
・強度・・・キーワードになる言葉
線を引きたくなる言葉、付箋を貼りたくなる言葉
・異なる速度・・・速いもの → パッと興味をひくインパクトのあること
遅いもの →ゆるやかに迫ってくること
・アレンジメントが形成される→自動的な運動を継続する機械になる
「アレンジメント」・・・配置されたもの)
本が読み手のよって動き始める。本は読み手との間によって存在する。
世界にはさまざまな機械がある、あちこちで動いている。
・抽象機械・・・なにか全体を動かしていそうな機械
・器官なき身体・・・これといった形のないもの 漠然としたもの
↓
承認されると収束する
・「シニファン」と「シニフィユ」
「シニファン」・・・意味するもの 文字や記号
「シニフィユ」・・・意味されるもの 内容 イメージ 概念
意味を与えるのは人間