生きるか、死ぬか。それが答えだ。 | みのむしのブログ

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みのむしの苦虫。

苦虫のみのむし。

いつもは「まぁいっか~」精神であまり深く考えないけど(ようにしている)、一度スイッチが入るととことん考えてしまいます。

あ、悩み事の話ですぶーぶー

悩んでいるときってたいてい理性と感情のはざまにいるときやと思うのですが、、それ意外の状態で悩むときってある?

たとえば、、「太った」事実に悩むとするでしょ?

じゃあ「運動や食事で痩せればいい」と理解するのが理性。

でも「食べたい」とか「明日までに3キロ痩せたい」って欲望があると、理性の方は時間がかかるし強い意志が必要だから悩むわけ。

それ以外の悩み方って思い付かないわカエル

だから悩んだら、理性と感情とを分別することから始めるのです。のです。

そして、分けられたら天秤にかける。

重い方が答え。

そういう過程を経るからこそ、答えたあとは後悔しない三 (/ ^^)/ビュ~ンッ

昔そんなみのむしにこう言う人がいました。

「じゃあ天秤にかけて軽かった方は0になるの?」

いんや?なぜ?

「軽い方」があるから「重い方」ができるんじゃんか。(関東弁)

とは口に出しませんでしたが(´・ω・`)

こんな性格のみのむしにこう言う人もいました。

「みのむしは何でも二項対立。極端。」

そ、そうなのか(_ _。)

でも。 物事が一体のままだと何も判断できないし、三通りを出したとしてそのひとつが「重いも軽いもどっちも」だったら、あとの二つの存在は意味ないじゃん。

シェークスピアのハムレットを見よ。

とは言えなかったが。(´д`lll)

物事によってはその中間が答え(というか理想)という場合ももちろんあるけど、みのむしの言ってることは、理想主義を掲げるほど余裕がない場合よ。(だって中間をとってもやがては感情が我慢できなくなるじゃないのさ。みのむし筆頭に女子は特にさ。)

日本には「中庸」という考え方があります。

AでもなくBでもないその間。

その考えは否定できないと(なぜなら昔の超偉い人達が言ってる事実がたくさんあるから)数年間考えました。(す、数年間!?お前は哲学者か?その時間を宅建の勉強にあてたまえ。)

実はいまだに分からない。(まさかこれが中庸か?)

中庸がゆえ中庸。

あー始まった( ´(ェ)`)

中庸の謎。

考えすぎて顔にブツブツができそうになるので、答えはこう。

「やっぽ~らりらり☆今夜もサザエさんの動画捜すぞォ(*^.^*)」

これがブツブツを防ぐ方法なのですしっぽフリフリ

みんな自分なりのブツブツを防ぐ方法ってあるのかな?

って何の話でしたかね?美容談?

と、こうやって人は歳を重ねてゆくのです。(少なくともみのむしは。)

AかBか、どっちかしかない。

こう判断し続ければとてつもなく世の中的には成功しそうな気がしてきたぞ、なんだか。うんうん(°∀°)b

宅建の時間もできるしねラブラブ!

この歳になってようやく、悩む時間を後回しにして、しかもちゃんと確保して、時間内に答えを出すことができるようになってきました。

そんな気になってるだけ。という突っ込みは無視するとして≧(´▽`)≦パタパタ

さぁこの永遠のテーマ、中庸を理解できる日はくるのか?

のれんに腕押し。

ぬかに釘。

盾と矛。

Cyu!you!

グッナイヽ( )`ε´( )ノ













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