①の続きです。

それは期末テストの最終日でした。
もうすぐ夏休みというのにその日は妙に涼しかったことを覚えています。


テスト後の部活がいつもより早く終わったので、
弟を幼稚園に迎えに行けるかもしれないと思っていた時、
顧問の先生が部室の外からわたしを呼ぶ声が聞こえました。

体操服のまま出て行くと、

「いま叔母さん(父親の姉)から電話があって、お父さんの病院に行くそうだ。急いで帰宅するように言われている」

と言われました。

先生の深刻そうなその雰囲気に、なんとなく状況を察して急いで自転車で帰ると、
弟はもう家にいて、わたしは着替えもそこそこに叔母の車で病院に向かいました。



病室に着いた時、ベッドの周りには主治医の先生、いつもの看護師さん、
母親、祖父、祖母、その他の親戚たちがいて、父親を取り囲んでいました。

母親が、父親の手に縋りついて泣いていました。


祖母も泣いていました。


祖父は「しっかりしろ!」みたいな声をかけていたと思います。


わたしと弟の後ろをついてきた叔母も、父親の名前を呼んで泣き崩れました。


ああ、お父さんはもうダメなんだな。


と思いました。


状況は理解できないけど、深刻な雰囲気は察知しているような表情の弟と手を繋ぎ、
わたしはその場にただ立っていました。


わたしに気づいた祖母と母親が、
「しぃちゃん(わたしの呼び名)、お父さんの手を握ってあげて。声をかけてあげて」

と言うので、弟と共にベッドのそばに行き、手を握りました。


父親の身体はガリガリに痩せてしまっていたけど、
不思議と手はそのままで、大きくて肉厚なその感触を忘れることはできません。


この手で何度も殴られたな、と思いました。


わたしは何の声もかけることはできませんでした。

弟は、父親の手とぎゅっと握手をして、わたし同様黙っていました。


この時、おそらく既に父親の息はなかったのだと思いますが、
多分主治医の先生はわたしたちの到着を待ってくれていたのだと思います。

わたしと弟がベッドの側から下がると、
亡くなったことを告げられて、主治医の先生と看護師さんが部屋を出て行きました。


皆がベッドの周りで泣き始めました。


ウワァ という大人の泣きごえが上がるあの感じが、
胸をザワザワさせられて、息苦しくなりました。



ですが、わたしは一粒の涙も出ませんでした。


自分でもびっくりするくらい、何の感情も湧いてきませんでした。

何故あんなに苦しめられたのに、
母親が号泣しているのかが、ただただ不思議でした。




他の人たちと自分との差に何となく居づらくなって、
わたしは弟と手を繋いで入院棟の廊下を歩いてみたり、
非常階段横のベンチに座ってみたりしました。


顔見知りの看護師さん達がわたしたちの側を通るたび、
黙って肩や背中を撫でてくれました。


弟は無邪気に幼稚園での出来事や、
新しく買ってもらったキャラクターの靴の話をしていました。


弟がいてくれてよかった、と心から思いました。

もしこの場にいるのがわたしだけだったら、
自分だけが涙が出ないことを嫌でも思い知り、
孤独で押し潰されていたと思います。



続きます。