こんなにどんよりしてとりとめないブログなのに、
読んでくださり、いいねを押してくださる方がいらっしゃることに正直驚いています驚き
ありがとうございますにっこりにっこり



昇天昇天昇天



わたしは都会でもなく田舎でもない、地方都市に生まれ育ちました。
父親はそれなりにお堅い職業についていて、
OLだった母親はそんな父親と結婚して専業主婦になりました。

結婚してから、そしてさらに病気になってから父親は変わった、それまでは優しい人だったのに。
と母親が言っているのを聞いたことがあります。

わたしの父親はとにかく自由な人でした。
常に家族よりも自分のことが最優先。
週末に父親と出かけた記憶はなく、父親はいつも友達や仕事関係の人達とばかり遊びに行っていました。
家の外では話も上手く気前がよく、陽気で多趣味な人なので、友達として付き合うのであれば楽しい人だったのかもしれません。

わたしの写真アルバムに残っているのはいつも母親か、母親の友達や、父方の祖父母と出かけているものばかりでした。
生活に困らないほどの収入があっても(別に高級取りというわけではなかったのですが)自分の趣味のためにお金を使い、
またその使い方も派手でした。

買ったものたちが、わたしなら即離婚案件なのですが…
代表的なものとしては高級車、船、最新のコンピュータ機器の数々…
平気で百万円単位のものを母親に何の相談もなしに買ってしまうのです。
わたしの学資保険を解約して欲しいものを買ったこともありました。

そのせいで両親の間に喧嘩は絶えませんでした。
父親は親に甘やかされて育ち、
学歴も家柄もそれなりのために自分に自信があり、
典型的なモラハラ人間(しかもDV夫)だったので、
金遣いが荒くなくてもいずれ仲は悪くなっていたでしょうが。


喧嘩をして母親が父親に殴られるところを、幼稚園の頃は泣きながら止めに入っていました。
もちろん4歳や5歳の小さな子どもが止めに入ったところで何の抑止力にもならず、
家の隣がパン屋さんだったので、裸足のまま飛び出して助けを求めに行ったこともあります。

ある時母親が殴られすぎて動かなくなり、
「ママが呼んでもへんじしない、動かなくなっちゃった」と泣きながらお店に駆け込むと、店員さんが救急車を呼んでくれて、
父親が付き添って(殴った当事者なのに)母親が運ばれて行きました。

そんなことが、何回もありました。


パン屋の店長さん(パン屋のおばちゃんと呼んでいました)がとても親切な人で、そういう時にはわたしをお店で預かってくれていました。
わたしの祖母より少し若いくらいの年齢だったと思います。

「〇〇ちゃんがいてくれたら、パンがたくさん売れるからね〜」
と言って、パンを焼くところを見せてくれたり、レジを手伝わせてくれたこともありました。

実の娘や孫以上に、きっとわたしがおばちゃんにいちばん迷惑をかけていました。

小学一年生で家を引っ越す時には、おばちゃんと離れることがほんとうに寂しかったです。

後から母親に聞いた話ですが、おばちゃんは何度も母親に離婚をすすめていたそうです。

実際に何度も離婚しようとした、と母親は言っていました。
ですがその度に父親は絶対に応じず、むしろいつもより酷く殴られ、
祖父母(母にとっては義両親)には世間体が悪いからやめてくれ、ひとりでどうやって子どもを育てるんだ、
と言われ続けたそうです。



余談ですが社会人になって初任給をもらえたとき、
わたしは在来線を半日ほど乗り継いで、
パン屋のおばちゃんに会いに行きました。

そんなに高級なものは買えませんでしたが、
おばちゃんに似合いそうな可愛いストールを買ってプレゼント用に包んでもらっていました。
中学生の頃に一度会いに行ったきり、もう8年も会えていませんでした。

お店の自動ドアが開いて、何となく見覚えのある女の人がレジのところでいらっしゃいませ、
と声をかけてくれました。
おばちゃんではなく、おばちゃんの娘さんでした。

〇〇さん(おばちゃんの名前)はいますか?わたしは昔隣に住んでいた〇〇です。

と名乗ると、娘さんはすぐにわたしのことを分かってくれました。


…でも、おばちゃんは2年前に病気で亡くなってしまっていました。

体調を崩して入院したときに、おばちゃんの旦那さんがわたしに知らせようとしたけれど、
おばちゃんはわたしが遠くの大学に進学したことを知っていたので、
(おばちゃんは、たまにわたしの母親に電話をして様子を聞いてくれていたらしいです。わたしは全然知りませんでした)
「きっと一生懸命勉強を頑張っているだろうから、邪魔をしないほうがいいわよ。わたしもすぐ元気になるつもりなんだから!」
と言っておばちゃんは止めたらしいです。

そこから急変して、亡くなるまではほとんど時間が無かったそうです。

わたしはパン屋さんの店内にも関わらず、
足元から崩れ落ちて泣きました。

後にも先にも、人前であんなに泣いたことはありません。
父親が亡くなっても一滴も涙は出なかったのに、
いつ泣き止んだかも覚えてないくらいに泣きました。
おばちゃんの旦那さんがお店の奥から出てきて、
お店の2階(兼自宅)に連れて行ってくれました。

部屋の棚に、わたしが幼稚園に入園する時におばちゃんと撮った写真が飾ってありました。
いつも、〇〇ちゃんは元気にしてるかなぁ?と心配してくれていたそうです。

それを聞いてまた涙が溢れました。



今でも思います。

おばちゃんとバージンロードを歩きたかった。

わたしの子どもを抱っこして欲しかった。

また一緒にパン屋さんのレジをしたかった。


何も恩返しできていないのに、もうおばちゃんには会えないことが、今でもつらくてつらくてたまりません。