わたしは小学生の頃から、父親からも母親からも身体的な暴力を受けていました。
そのきっかけとなった出来事があります。

一番最初に父親に殴られたのは小学2年生の時でした。

わたしはズボラでめんどくさがり屋のくせに、小さい頃から無駄に正義感の強い子どもでした。
ある日の昼休み、クラスメイトの男の子がクラスの中でも大人しく、小柄な女の子を言葉でからかい始めました。

それがだんだんエスカレートし、男の子は女の子の肩を押したり机をガタガタ言わせたりし始めたので、
わたしはいい加減にやめるように男の子に詰め寄りました。

その男の子と言い合いになった末、ついにその子は泣き出しました。
泣かせるほどのことをしたとは思っていませんが、
売り言葉に買い言葉で、わたしも彼に多少酷いことを言ってしまったかもしれません。

そしてその出来事について、放課後に男の子の保護者が学校に通報したのでしょう。
どんな風に通報したのか、事実をありのまま伝えたのか、わたしは知りません。

夜に家の電話が鳴って、母親が何かを話しているのは聞こえました。
わたしはそれがまさか小学校の担任からの電話だとは思っていませんでした。

少しして父親が仕事から帰宅し、しばらくしてから部屋の勉強机で本を読んでいたわたしのところに、
ものすごい剣幕でやってきました。

まず、机に向かって思い切り突き飛ばされました。
椅子に座ったまま、思い切りおでこを机にぶつけました。
いきなりのことに恐怖を感じたわたしは、
とっさに勉強机の下に逃げ込みました。

「お前は何をしてるんだ!俺に恥をかかせる気か!!!」(父親はそれなりに社会的な地位がある人でした)

父親は、机の下にうずくまるわたしを思い切り蹴り始めました。
たぶん、視界の下の方に居たので、殴るよりも蹴る方がやりやすかったのだと思います。

10回以上は蹴られたと思います。
どうやって終わったのかは覚えていません。

訳が分からなくて、しばらくの間ただ呆然としていました。

机の下で頭は守っていましたが、最初にぶつけたおでこと、守るもののない肩や腕や脚が痛くてたまりませんでした。

その時に自分が何を感じていたかは全く思い出せないのですが、
ただ、その日眠る時にまた父がリビングからこの部屋にやってくるのが怖かったです。

当時は弟が産まれたばかりで母と弟が寝室で眠っており、
わたしはその一年前くらいから、基本的には自分の部屋で父親と眠っていました。

だから、また同じ空間に父親がくるのが怖かった。

布団をかぶって、息を殺して眠りました。
次は上から踏みつけられるのではないかと思いながら。

母親が、わたしがその日暴力を振るわれたことを知っていたかはわかりません。
でも、そこから堰を切ったように父親からも母親からも日常的な暴力が始まるので、
そんなことはもうどちらでもいいことです。

もちろん、父親に殴られていても、母親がかばってくれたことはただの一度もありません。
ただ何故か、同じ家にいるはずなのに、わたしが殴られたり蹴られたりしている間は、
母親は絶対にお互いに視界に入らない場所にいました。
もし見えるところにいたとしても、助けを求めることはなかったとは思いますが。


結局両親には、その日学校で何があったのかを聞かれることはありませんでした。
自分から話す気にもなりませんでした。
小学2年生のわたしは、蒸し返すのが怖かったのです。


翌日登校すると、男の子は休んでいました。
担任は「クラスメイトは仲良くしなければならない」というようなことをわたしに言いましたが、
その次の日に男の子が登校してくると、
それ以上そのことでわたしに何か言ってくることはありませんでした。

男の子には別に何の感情も沸きませんでした。
その後も何かにつけて絡んできましたが、
周りのクラスメイトたちが味方になってくれたので、
卒業するまで大きな波風も立ちませんでした。


ですがわたしはその日から、学校の先生というものは信用ならないものだと思うようになりました。
わたしの母親に何と言って電話してきたのかについて知ることはできなくても、
わたし自身に事実を聞いてくれなかったことについて、
小さいながらに不信感を募らせたのだと思います。

その気持ちは、中学2年生の時に担任をしてくれた先生に出会うまで、ずっと続きました。

その先生の話は、また書きたいと思います。


不思議なことですが、その日から家庭で暴力を振るわれる日々が始まるのに、
親を大嫌いだ、信用ならない!
という気持ちにはならなかったのです。

子どもの狭い世界では、親の存在の大きさは何者にも替え難く、簡単に好き嫌いを決められるものではなく、複雑で、ある意味本当に罪深いと思います。