ドンドンドンドン


夜中に玄関のドアを叩く音がして村上さん(仮)は目が覚めた。「何、こんな夜中に?」そう思っていると


たなかさーん、いるんでしょ、たなかさーん


ドアの外から男性の声がした。
村上さんはマンションの4階に住んでいる。部屋を間違えて訪ねてきたのだろうか。だが同フロアに田中さんという人はいなかったはずなので、もしかしたら階を間違えているのかも、そう思ったそうだ。


ドンドンドンドン

たなかさーん、たなかさーん


それにしてもこんな夜中に迷惑な話だ。用があるなら何故インターホンを鳴らさないのだろうか。そう思いベッドから出て玄関の方へ向かう。ドアの覗き穴からそっと外を見ると人影が見えた。夜中なのでどんな顔をしているのか、どんな服装なのかは見えなかった。ただ、そのシルエットから外にいるのは声の主の男性のようだった。

しばらく覗いていたがこっちがドアの前にいる事を察したのだろうか、声を出さなくなった。

それならと内鍵をかけたまま恐る恐るドアを開ける。だが、ドアの外には誰もいなかった。

おかしい。覗き穴から目を離して10秒も経たずにドアを開けたはずだ。立ち去るだけの余裕はあまりなかった。その逃げ足の速さに村上さんは不思議に思ったそうだ。

ベッドに入り横になりふと考えた。


「たなかさん」とは誰なんだろう。


そういえば、以前宛名の違うダイレクトメールが届いた事があったのを思い出した。住所は間違えていないが宛名が違う、確か名前は田中だった。「たなかさん」は前の住人だったのだろう。

そんな事を思いながら眠りについた。



それから数日後の事。


ドンドンドンドン

たなかさーん、いるんでしょ、たなかさーん


夜中にまた扉を叩く音、そして男の声がして、村上さんは目が覚めた。


たなかさーん、いれてくださいよー


前回の事があったので今度は逃すまいと急いでベッドを飛び降り玄関に向かう。


「何時だと思ってるんだ、いい加減にしろ!」


と村上さんは玄関のドアを開けた。だが外には誰もいない。

内鍵を開けて顔を出し周りも見たが、誰かがいたような様子はなかった。


おかしいな、と思いドアを閉めベッドに戻ろうとした。



たなかさーん


ベッドの前に黒い人影が立っていた。
前に覗き穴から見えたあの人影だった。


たなかさーん、たなかさーん


声はするが顔は見えない。


たなかさーん、たなかさーん


そう繰り返し呼びながら、その人影が少しずつ近付いてきた。


「ひ!」


思わず声が出て後ずさりしようとしたが、身体が硬直して動かない。


たなかさーん


人影はすぐ目の前まで来た。村上さんは腰が抜けてふらふらと座り込んでしまった。その座り込む村上さんにゆーっくりと顔を近付けてきた。

人影に目はなかった。だが村上さんの顔の前で自らの顔を動かす様子は、まるで舐め回すように見ているようだった。

人影の顔の動きが止まった。
村上さんの肩が強張る。
すると人影の顔の真ん中が横に裂け、口のようになった。その口が小さく動く。


ちがう


耳元で囁くように聞こえた。


おまえ、たなかさんじゃない


そう言って黒い人影は村上さんの横を抜けて玄関の方に去っていく。

力が抜けた村上さんは玄関の方を振り返ったが黒い人影はもうそこにはいなかった。


それからその人影が現れる事はなかったそうだ。

その人影はどうして「たなかさん」を探していたのだろうか。部屋にいたのが自分ではなく「たなかさん」だったらどうなっていたのだろうか。もし自分が「たなかさん」と間違えられていたら自分は生きていたのだろうか。

村上さんは今でもそんな事を思うそうだ。