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バルコニーでささやかな家庭菜園を楽しんでいる。
昨年はキュウリ、ナス、ピーマンなどの実物もしたが、五階のバルコニーに照りつける日差しに水やりが追いつかず今年は諦めた。
ネギと青ジソだけはあると薬味に重宝するので続けている。
お盆を過ぎた頃に青ジソの葉を数枚摘んで冷蔵庫の野菜室に入れておいた。
奥の方に追いやられてすっかり忘れてしまっていた。
1ヶ月後に見つけて驚いた。
何とプラ容器の中で濡らしたティッシュペーパーの水分を頼りに発根しているでは…
驚きは感動に変わり思わずパチリ

下の画像がそれである。
小さな硝子の花瓶に挿しておいた。
茎も無く季節的にもこれ以上の成長はあるとは考えられなかったが、
健気に生きていることが嬉しくてずーっと見守っている。
今日から師走…
今朝の
が上の画像
が上の画像まだまだ緑の葉は色褪せることもなく、根も生き生きしている。
青ジソの実は塩漬けにして美味しくいただいている。
で見た娘が「ちょっと凹んでいたけど、元気をもらったワ
」
」と言ったことを思い出し、私も精一杯生きていかなくちゃと思う

このまま年を越しそうな健気さにありがとうである

先日或る人の偲ぶ会に招かれて夕方出かけた。
昨年四十年祭には遠方の方にもご案内したが、今年は立場とか義理などではなくごく内輪での集まりなので「平服」でということだった。
とはいうものの何を着ていったらよいのか…
かえって迷ってしまう
退職して家にいるようになってからお決まりのようにメタボチックになってしまった。
気の利いたスーツなど無いし、ピチピチのパンツでの正座では脚が痺れてしまう。
そこでやっぱり着物にした。
平服とはいえある程度格式をと思い、ほとんど無地に近い古代紫の長着に地味目の帯、薄紫の帯締めを合わせてみた。(写真が下手なので本当の色が出ません
しっとり落ち着いてなかなかの組み合わせである。
すべて母のもので私が着るのは初めてである。
母の若い時のものではじめはオレンジ系にあっさりとした幾何学模様であったのが派手になったので染め直したと聞いたことがある。
着物には染め直したり八掛の色で雰囲気を変えたりと、気分や年齢に合わせた楽しみ方がある。
洋服でもリフォームはあるが着物の方に軍配が上がるであろう
着物を大切にした日本人の優れた知恵だと思う。
「エコ」などという今どきの言葉でひと括りにされたくはない。
着物のことについてはまた別の機会に思い付くままを綴ろうと思う。
普段はほとんど会うことのない面々だが故人を偲んでの思い出や近況など話は尽きずあっという間に時が過ぎた。
年に一度だけなのにまるで昨日も会っていたかのように語らうことのでる気の置けない間柄である。
昨日訃報が入った。
偲ぶ会で話題に上った共通の知人でまだ七十そこそこのお歳で社会的にも活躍されていた方で驚きであった。
「あした(朝)には紅顔ありて、ゆうべ(夕)には白骨となれる身なり」という親鸞聖人の御文の一節が頭をよぎる。
人の命の儚さを思う。
ご冥福を祈るばかりである。
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)の私には驚きだった。


