blogに書くのははじめて…だと思います。


4月25日は尾崎豊の命日。

亡くなって、もう32年にもなりました。


デビューアルバムは『Oh my little girl 』が大好きで

2ndアルバムの『回帰線』は捨て曲がないくらい、今で言う神アルバムだった


『壊れた扉から』でようやくライブに参加できた。

音楽好きの生徒が多い学校だったから、Last teenage appearance の代々木体育館でのライブは

同学年だけで30人近くが参加してたと思う🤣


その後のライブ、東京ドーム、有明コロシアム、Birthツアーなど、行ける限り参加してた

FC優先予約はいつも神席で、FCの価値があるなぁと感じていた


六本木のスナックかカラオケにいた時

深夜に飛び込んできたニュースで、

OZAKIが亡くなったことを知った。

ショックだったけど、実感わかなくて 


OZAKIが念願だった、そして開催されることがなかった武道館ライブのチケット🎫は

払い戻すことができなくて、今も手元にあります


亡くなった時よりも、それより数年前に、

逮捕された時の方がショックだった

護国寺の告別式はいかなかった


彼を弔うイベント(親友の吉川晃司が参加してたりした)やフィルムコンサートにいくつか行ってたけど、それも行かなくなった。


何度かお墓参りにも行ったけど、

やっぱり実感わかなくて💦


じわじわと悲しくなってきたのは10年くらい前から(遅いわ、自分💦)


悲しくて、持っていたFC会報や写真集その他は手放してしまった(ヤフオクでかなーりいい値段になった😆)


浜田省吾が路地裏の少年を

佐野元春がアンジェリーナを

小田さんが僕の贈りものを


そうやって大御所シンガーソングライターが

はにかみながらも誇らしく、デビュー曲を

歌う姿を見るようになって


あぁ、50代のOZAKIが歌う

15の夜や十七歳の地図を聞きたかったなぁ🥲と

思うようになってから

じんわり悲しくて


今では珍しくない

進学校の中退(青山学院高等部)

18歳という若いデビュー

整いすぎてるルックス

ファンの思い

彼で儲けようとする大人たち


それらを背負うには、OZAKIはあまりにも

ナイーブすぎて

いつかは破滅する気がしてた


OZAKIが亡くなってから

彼の音楽を聞くことは全くなくなってしまったけれど、全曲、フルコーラス、そらで歌えるくらい

私のDNAには染みついている


短い間だったけれど、素晴らしい音楽をありがとう


32年も経って、ようやく思いを言葉にすることができました