こんばんは。今は火曜日の夜更、水曜日の未明です。


また、久しぶりすぎる日記になります。

透析患者になったから透析日記をつけよう!と始めたものの、案の定三日坊主に。。


透析、仕事、母の介護に奔走する毎日でした。


今回日記を書かずにいられなかった出来事。

覚書です。母が助かることを祈って。


月曜の朝、母が心筋梗塞で救急搬送され、ICUで危篤状態となってしまいました。

今、この瞬間にも病院からの電話が鳴らないか怖くてたまりません。


母は倒れる前夜、苦しそうに咳込みが続き不眠でした。加湿器を強くし生姜湯を飲ませても効果なしでした。


明け方4時に母は私を呼びました。

「ごめんなさい漏らしてしまった」

自力でトイレに立つこともできなくなっていました。手引き歩行でトイレ介助行い、付き添いました。


その夜、私は母がかわいそうで優しくしたつもりです。でも、今思えばもっと優しくできたはずです。

咳込む母の背中を一晩中撫でて付き添ってあげれば良かったのに。なんでそうしてあげなかったのか。


いつか来るとは思っていたその日がまさか今日だったなんて、なんでその瞬間まで気付けなかったのか。

一晩中苦しんでた母を何故病院に連れて行かなかったのか。

しても仕方ないですが後悔ばかり出てきます。


朝になり、デイは休ませて、私は仕事に出勤し母は在宅ワークの弟に任せました。

母は朝になっても咳込んでいました。


最後に聞いた母からの言葉は

「おかんのせいで寝られへんかったなぁ」「ごめんな」「いってらっしゃい、気をつけて」


母は身体障害ですが認知症はなく常時介護が必要なわけではありません。

この朝、弟が在宅してたのは本当にたまたまでした。

弟が出社していたら母は私が昼に帰宅するまで1人だったはずです。

そうならなかったのは本当に運が良かったのです。母は助かる運命だったのだと信じてます。


9時過ぎ、仕事中に弟から着信がありました。

「おかんの様子がおかしい!咳のしすぎで息ができてない、意識も

私は「今すぐ救急車!!」と指示するしかできず。

弟がすぐさま別の電話から救急車を呼び、母に声をかけ、119からの指示も受けながら胸骨圧迫してくれている様子がハンズフリーから聞こえました。


私は「救急隊員が来るから扉の鍵だけ開けてきて!」

「お母さん!ママ!私だよ、聞こえる?、ママ!」


「どうしよう、息してない、おかん!」と弟の泣き声。

そして程なく救急車のサイレンと隊員さん達の慌ただしい気配が。


全てハンズフリーで聞こえてました。

隊員さんの心肺停止!の声も、AEDの操作音も。


幸いなことに、本当に幸いなことに、受け入れ先病院をすぐに見つけてくださり、搬送してくださいました。


私は救急車の指示を出した時点で、昨今の医療情勢から受け入れ先が見つからないのでは、このまま成す術なく母は死んでしまうのではと恐怖でした。


でも、救急隊員さん達の迅速な対応と受け入れ先病院のお陰で母は高度な救命措置を受ける事ができました。


昨今の医療情勢からしてみたら奇跡のようです。母に関わってくださった全ての方々に感謝しかありません。


母がこの日に倒れる運命だったのならば、弟がそばにいたこと、救急車も病院搬送もスムーズに出来たことは助かる運命だったのだと思いたいのです。


私は仕事先で泣きながら電話を聞くしかありません。

程なく弟が「搬送先が◯◯病院に決まったから!一旦切るわ」と。

私はすぐ上司に電話をかけ、泣きながら状況説明し、仕事を離脱させてもらい、搬送先に向かってバイクで40分の距離を走りました。


40分の距離は長かったです。走りながら泣いて、泣いて、最悪の状況ばかり想定してました。


救急外来待合室で弟がいました。

母は生きてました。

心肺停止から蘇生して、救命措置が続けられてるようでした。


しばらくして医師から説明があり、心臓の処置をする旨と最悪の事態も想定するよう言われました。

その後はICUで管理するとも。


母の居場所が遺体安置所じゃなかった、それだけでどれだけ嬉しかったか。


その後はひたすら弟と待ち続けました。


2時間後くらいに医師から状況説明を受けました。

母は心筋梗塞でした。ステント処置をしてくださいました。

まずは48時間、鎮静状態で呼吸管理し経過観察とのこと。

そのあと様子を見ながら意識レベルを上げていくと。

脳に障害を負ってる可能性も意識が戻らない可能性も高いと。

最悪の事態もあり得ると。

また、状況が変わったらこちらから連絡しますと。

丁寧な説明を受けました。


そのあと、感染対策で厳戒体制なのに、ひと目だけでもと母に面会させてくださいました。


母は全身管に繋がれて深く眠ってました。

弟と2人で母に声をかけ、その寝顔を目に焼きつけ、医療スタッフさん方に頭を下げて、病院を後にしました。


コロナ禍でさえなければ、毎日でも何時間でも面会に行きたいですが仕方ありません。

病院から呼ばれない限り行ってはいけないのです。


結局その日は恐れていた連絡はなく、一晩無事に明けて火曜日になりました。