織田信長の母衣衆筆頭佐々成政
若き日より織田家へ仕え、
織田信長の数々の戦いに参戦した成政。
そんな織田家は破竹の勢いで天下を目指し、
家臣でさえも信長に意見するのはなかなか難しくなっていました。
天正元年(1573年)に浅井・朝倉両家を滅ぼした信長は、
その翌年正月に岐阜城で酒宴を催しました。
酒宴も進み、直臣だけを残した信長が酒の肴に用意したのが、
朝倉義景・浅井久政・浅井長政、
3人のドクロを金粉で塗った薄濃(はくだみ)でした。
これには強者揃いである織田家の家臣たちでさえも、
酔いが覚めてしまったことと思われます。
しかし、信長の性格をわかっていた家臣たち。
これについて信長に意見すれば、
その場で手打ちになるとも限らないため、
誰も意見するものはいませんでした。
しかし、酒宴が終わって皆が退席した後、
信長の前に出たのが成政でした。
成政は、酒の肴に薄濃の首を使うような、
人道に外れるような行いは慎むべきだと述べた上で、
「信長公に属さない国々があるのは、
徳が至らないからと思いと召されて、
良くないところは反省なさいませ。」
と述べたのでした。
これを聞いた信長は怒るどころか、
この後、成政と政道について語りあったのです。
自分の命が危うくなるかもしれないのを承知の上で、
主信長に諫言する成政の忠臣ぶり。
現代にもこれだけ上司を思い、
意見する部下はいるでしょうかね。
●お知らせ●
アンケートに答えてね(・ε・)
▼好きな戦国武将教えてください!▼
(PC版は右側(紫の欄)にあるよ)
投票の多い武将の紹介をどんどんしていこうと思います!
(アンケートの選択肢の関係上、16個しか載せられない事をお詫びします。
「この武将のことが知りたい」という方は、
どうぞ”その他”を選んでいただきコメント欄に武将名をご記入ください。
記事にしたいと思いますので、よろしくお願い致します。)
Twitter再開しました!
みの吉Twitter
ランキングに参加してます。
慶次と夢吉をポチッと押して頂ければ幸いです(>ε<)