先週一週間は全く休みがなく、なかなか自分の勉強が出来なかった。

やっと今朝自分の時間が出来たので、ストラヴィンスキー作曲/ペトルーシュカ(1947年版)の勉強に取りかかろうとしてスコアを読み始めたが、いっこうに譜読みが進まない。

普段であれば楽譜からの霊感、またはインスピレーションをいっぱいもらえるはずなのに、今日に限ってそれがない。

なにかがおかしい。楽譜がただの記号の羅列にしか見えない。


そこでスコアを読むのを中断して、布団に横たわった。

何も考えずに・・・


1時間くらいしたときにその気づきはやってきました。

何に気づいたかというと、ずばり心の眼。

以前ブログで書いた観る、ようするに心の眼で観て、感じていないことに気づいたのです。
もっと言うと、自分の内にある自分、真我(しんが)と楽譜が対話していなかったのです。

ああ、この一週間自身もこの真我と対話してなかった、真我をほったらかしにしていたことをすごく反省します。

どんなときであれ、真我を忘れていては真理には絶対近づけないし、インスピレーションももらえず、全てにおいてうまくいくはずはないと思います。


この大切なことを気づかせてくれたのは、紛れもない真我なのです。

さて、改めてもう一度ペトルーシュカと向き合ってきます。


箕輪健太


おととい、昨日と違うオーケストラ団体ではあるがブラームスの交響曲の練習をしてきました。

おとといは交響曲第1番、昨日は交響曲第4番。まさか2日間でブラームスの最初と最後の交響曲が指揮できるとは・・・本当にありがたい。

ブラームスを指揮するのは本当にある意味難しい。
というのも、上手下手は別としてどんな指揮でも必ずブラームスの音というものが出てしまう。
もっというと、ちゃんとしたブラームスの音を出したければそれだけ技術と経験、また霊感が必要であると僕は考えます。

最近とある本に、ブラームスの亡くなる4ヵ月まえの会話(口述筆記のようなもの)が書かれてある本を見つけて読んでいるが、そこには伝記などに書かれている今までのブラームス像とはちょっと違う一面が書いてあったのです。

特に関心を持ったのは、ブラームスが聖書について大変詳しいこと。
またそこからインスピレーションを得て、作曲に挑んでいること。

「わたしの内におられる父が、その業(わざ)を行っておられるのである。」(ヨハネ14・10)

この聖書の一説が頻繁に出てくるのだが、おそらくこれこそ霊感、もしくは自己との対話なのだと僕は思います。


それで、この本を読んでから改めて楽譜と向き合うと面白いことにブラームスの交響曲が解釈せずに理解できる。

そして実際オーケストラの前で指揮をすると今までの自分が指揮してきたブラームスとは格段に違ういい音がする。
ブラームスの霊感に触れたからなのかな。

こんなに楽しい練習を行えたのは本当に久しぶりでした。


今後の自分のやっていく音楽の方向性がちょっと変わってきたかもしれない。


やはり、霊感というのは音楽をしていく上で、実は技量と同じくらい必要不可欠な要素なのかもしれない。

さらにいうと、生きていく上でもそうなのかもしれません。


箕輪健太
昨日は、タイトル通り初生グレ体験をしてきました。

それはそれは甘美であり、また激しくもあり、そして恍惚とするものだった。

いやしかし、もし今の自分があんなことをする立場だったら、ちょっと物怖じしてしまいます。

あっちの立場はあと40年は先でいいかなと思いました。

それにても、本当に歴史的な現場に立ち会えたことは心から嬉しく思いました。

東フィル特別演奏会
シェーンベルク作曲「グレの歌」の感想でした!!


断じて生グレープフルーツサワーの話ではありません(笑)

当日はお客さんにも大入り袋もでる大盛況っぷりで、中身は東フィルオリジナルの切手シートが入っておりました。

箕輪健太



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