先週一週間は全く休みがなく、なかなか自分の勉強が出来なかった。
やっと今朝自分の時間が出来たので、ストラヴィンスキー作曲/ペトルーシュカ(1947年版)の勉強に取りかかろうとしてスコアを読み始めたが、いっこうに譜読みが進まない。
普段であれば楽譜からの霊感、またはインスピレーションをいっぱいもらえるはずなのに、今日に限ってそれがない。
なにかがおかしい。楽譜がただの記号の羅列にしか見えない。
そこでスコアを読むのを中断して、布団に横たわった。
何も考えずに・・・
1時間くらいしたときにその気づきはやってきました。
何に気づいたかというと、ずばり心の眼。
以前ブログで書いた観る、ようするに心の眼で観て、感じていないことに気づいたのです。
もっと言うと、自分の内にある自分、真我(しんが)と楽譜が対話していなかったのです。
ああ、この一週間自身もこの真我と対話してなかった、真我をほったらかしにしていたことをすごく反省します。
どんなときであれ、真我を忘れていては真理には絶対近づけないし、インスピレーションももらえず、全てにおいてうまくいくはずはないと思います。
この大切なことを気づかせてくれたのは、紛れもない真我なのです。
さて、改めてもう一度ペトルーシュカと向き合ってきます。
箕輪健太
やっと今朝自分の時間が出来たので、ストラヴィンスキー作曲/ペトルーシュカ(1947年版)の勉強に取りかかろうとしてスコアを読み始めたが、いっこうに譜読みが進まない。
普段であれば楽譜からの霊感、またはインスピレーションをいっぱいもらえるはずなのに、今日に限ってそれがない。
なにかがおかしい。楽譜がただの記号の羅列にしか見えない。
そこでスコアを読むのを中断して、布団に横たわった。
何も考えずに・・・
1時間くらいしたときにその気づきはやってきました。
何に気づいたかというと、ずばり心の眼。
以前ブログで書いた観る、ようするに心の眼で観て、感じていないことに気づいたのです。
もっと言うと、自分の内にある自分、真我(しんが)と楽譜が対話していなかったのです。
ああ、この一週間自身もこの真我と対話してなかった、真我をほったらかしにしていたことをすごく反省します。
どんなときであれ、真我を忘れていては真理には絶対近づけないし、インスピレーションももらえず、全てにおいてうまくいくはずはないと思います。
この大切なことを気づかせてくれたのは、紛れもない真我なのです。
さて、改めてもう一度ペトルーシュカと向き合ってきます。
箕輪健太