昔、我家には五右衛門風呂があった。

夕方になると母や祖父は、長くて重い木製の柄がついた手押しポンプで井戸水をブリキのバケツに汲み、それを何度も釜に運んで風呂を用意するのが日課だった。学校から帰った兄と私で、はしゃぎながら水を汲むこともあったが子供は直ぐ疲れ、柄にぶら下がって遊んでは叱られた。

 

外の焚口から大人が薪を放り込み、湯を沸かすのだが、子供の頃の私は、暗くなるまで炎を眺めるのが好きだった。

薪となる木材は、近所から廃材を拾ったり、小学校で捨てる机や椅子を貰ったりしたのを覚えている。勿論、家で出る紙ごみなどは、全て燃やした。

その頃は、灰の中に磁石を突っ込み、古釘を集めておくと、金物回収のおじいさんが自転車で回って来て買ってくれた。

鍋や薬缶を修理する鋳掛屋さん、傘の骨を直してくれる傘屋さんと並び、時代を感じさせる職業だ。

 

ある時、五右衛門風呂を壊し、ガスで沸かす浴槽に取り換える工事をしていた間、風呂が使えず、1か月ほど銭湯に通った。ずーっとなぜ、銭湯に行っていたのか、理由が分からなかったが、大きくなって母に聞いて分かったことだ。

 

あれは、小学2年ぐらいのこと。母が近所に住む高校生のお姉さんの家へ私を連れて行き、銭湯に一緒に行ってくれる様、頼んだことがあった。

銭湯には、男性である兄か父、祖父と行った記憶があるので、きっと、その日は、誰も都合がつかなかったのだろう。

お姉さんと言っても、私にとっては、一緒に遊ぶ歳でも無く、時々、道で会って顔を知っていた程度の仲だった。

そんなお姉さんは、私の手を引き、歩いて10分程の銭湯へ行く途中、母から貰ったお金で駄菓子を買ってくれた。

 

銭湯に着くと彼女は、私の服を脱がせ、一緒に女風呂へと入れた。子供心に恥ずかしかった。

身体を流し、お姉さんと湯船につかったが、恥ずかしくて、うつむいていた。

湯船を出て、腰掛けるお姉さんの前に立たされ、身体を洗ってもらい、頭も洗ってもらった。絞ったタオルでゴシゴシ拭いてくれた。

その時、お姉さんのふくよかな胸が揺れ、眺めていたら両手で頭をくるりと横に向けられた。

天井から湯気の籠った室内を照らす蛍光灯が、やけに眩しかった。

「お姉さんって綺麗だな。」と思った。そして彼女の汗ばんだ笑顔に浮かんだ、そばかすが、とても魅力的に感じた。

きっと子供の頃の、こんな体験が大人になってからの女性の好みに、大きく影響するのだろう。

いい歳して、そばかすの女性を見ると今でも惹かれてしまう。

 

あの銭湯の件以来、そのお姉さんとは顔を会わさなくなった。母が、彼女の一家が引越ししたことを随分、経ってから教えてくれた。そう言えば、彼女の家の玄関に掛かっていた表札や入り口に置かれていた沢山の植木鉢が無くなっていた。

彼女の名字は、定かでないが、モリナガだったろうか。下の名前どころか、今となっては、顔さえ思い出せない。

それにしてもあの時、なぜ、母が彼女に私の世話を頼んだのか不明のままだ。良かったのやら、悪かったのやら。

2018.11.20