【人生のあがき】

≪あがき≫を変換すると≪足掻き≫となる。何だか悶えながら水中で足をバタバタさせている感じがして面白い。

この世に生を受け61年。自分が高齢者と呼ばれる年齢に近づくのに驚きつつも気持ちはまだまだ若いけれど身体が付いて行かず、体力の衰えを感じるシーンが多くなった。

40代前半、いい歳をして人数合わせで誘われて始めたラグビー。当時、勤務していた新宿のビルから徒歩で集まる事が出来る新宿中央公園で週1回の練習に汗を流した。当時もチームでは結構、年上だったので若者の背中を追いかけ、一生懸命足掻いていた。他チームとの試合にも何度か出た。ある試合では、明らかにメンバーの殆どが経験者と思える陣営で、その時に受けた強烈なタックルで痛めた膝が、ここに来て、ずきずき痛む。膝が痛むとおのずと、きつい運動が億劫になり、脚力も衰える。散歩で長時間歩くのが好きで今も良く歩くが、跳んだり跳ねたりは、もうやめた方がいい。沖釣りで船の揺れに堪えて脚を踏ん張るのもいい運動ではあるが、だんだん辛くなってきた。

これまで良いことも悪いことも人生の節目、つまりターニングポイントとなる事は沢山あった。そしていつもその時々に併せて足掻いてきた。

あの時、こんな事を言わなければ…、あの時、この道を選ばなければ…、あの時、この人と話さなければ…、あの時、もう少し我慢していれば…、あの時、僅かの勇気があれば…、あの時、あんな事さえ起きなければ…等々。

もし、その時々の判断や対応が少しでも違っていれば、きっと今の生活と異なる環境にいる自分がいた事だろう。

でも、結果的に今が、まあまあ健康で、そこそこ幸せを感じる事が出来れば、過去の足掻きも決して間違いでは無かったとしよう。

人生、あの時に戻ってやり直すと言う事が出来ない以上、確かな事は誰にも分らない。別の道を選んでいれば、もしかすると事故で命を失っていたり、ある人に出会っていれば、もしかすると大金持ちになっていてクルーザーで釣り三昧の日々を過ごしていたりしたかも知れない。勿論、あの時、ラグビーをしていなければ、もう少し膝の具合は良かった事は確実に言える。

妻に「生れ変わったらまた僕と一緒になる?」と訊くと、「そんな絶対、有り得ない事は考えられない。」との返事。そう、あの時、この人に出会っていなければ、この人の存在さえ知らず、別の人と一緒になっていたか、或いは気ままな一人暮らしをしていたかも知れない。

人生、なる様にしかならないが何もしなければ良くはならない。

20年先、まだ健康で少しでも幸せを感じる生活が出来る様、この先も足掻きながら生きて行きますかね。(2017.10.24