Nana × くぼっち引退記念対談動画
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〇Zoomを使用し収録したため、一部音声の乱れ等があり聞き取りづらい部分がございます。
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みなさん、お久しぶりです。くぼっちです。
いやーとうとう引退になります。長いようで短い3年間(正確には2年4ヶ月)でした。
この間、本当に様々なことがあり、沢山の素敵な仲間に出会うことができました。
引退ということで少しばかり思い出を振り返りたいなと思います。
なお、近々公開予定のななとの対談企画でも思い出を振り返っているので被りがありますがお許しください。
まずは1年の4月。私は中学時代、太鼓部に所属していたのですが、箕面高校の学校説明会にもほとんど行ったことがなかったのでどんな部活があるのか具体的には知りませんでした。
もちろん太鼓部がないことは知っていたので「部活どうしようかな」なんて考えていました。
そんな時に生徒会主催で毎年行っているクラブ紹介が行われるということで「そこで良さそうなやつがあるか探すか。」と思い、クラブ紹介(新入生歓迎会)を見ていると急に黒子が現れて、PCから機械音声で演劇部の紹介が行われLEDが光るという、本当に訳のわからない紹介が行われました。
機械音声で紹介が流れたものの全く頭に入ってこなかったので、どこの部活か最初はわからなかったのですが、司会の方からの紹介と手元の資料で演劇部とわかりました。
私は元々、舞台照明を見るのが好きという変わった人間なのでLEDを見ただけで演劇部に行くぞと決めました。今考えると軽率だったと思っています。
ただ、私は本当に演劇に関わったことが中学でクラス劇と学年劇の音響照明のチーフをやったぐらいだったので、全くもって演劇部がどんなことをするのかわかりませんでした。
そんなことを思いながら仮入部に行くとソラ先輩と顧問がいて、「今日はラジオ収録だから」と告げられました。急すぎませんか?おかしな話ですよね、全く何かわからないまま収録に連れて行かれて喋らされるわけですよ。
そんな感じで私と演劇部の関係が始まりました。ちなみにこの時どんな話をしたかは微塵も記憶にないです。そしてこの日がななとの出会いの日です。この日はお互い、急に収録に連れて行かれて困惑していたので世間話を簡単にするぐらいで名前も知らずに話していました。今思い返すと、最初こんな感じだったのによくここまで仲良くなって「一生、一緒にいそうだな」なんて言い合うような関係になったなと思います。
さて、あまりにも演劇との出会いについて書きすぎて内容が多すぎるのですが、もう1点だけ書いておきたいことがあります。そんなに長くないのでお付き合いください。
それは仮入部2日目、行くと部員はいません。おかしいですね。
しかし部室は鍵が空いていて電気がついている。どうしたものかと立ちすくんでいると顧問が現れます。そして部員は今日は来ないと言われます。そこで謎に顧問と二人でパネルか扉だったか忘れましたがバラシ作業をすることになりました。仮入部なのに。
思い出せば思い出すほどおかしな部活だと思いますし、何故この部活に入ろうと決めたのか本当に不思議です。
そうこうして5月、正式に入部して演劇部員になったGW、初めて豊島に行きました。
基本的にめんどくさがりでゴミのように腐っているみのえんでしたし、そもそも部活を入部以来ほとんどしていなかったので、初めて基礎練をしっかりやりました。ここでちゃんと学べたからかろうじて後輩に基礎練を教えられています。
で、この豊島との出会いが本当に演劇人生において大きい存在でした。
B地区で強豪校として名を馳せる彼らと一緒に舞台を作り上げられたことは私たちの自信にもなりましたし、何より信頼できる仲間になったのでお互いが遠慮なしでダメ出しでき、レベルアップするのに繋がったと思います。
さて7月のHPFで豊島と合同公演をするということでここから約3ヶ月間のみのてし生活のスタートです。使用教室の広さや部員数の関係から豊島に箕面が出向く形で練習が行われるということで、毎日の授業が終わったら部室に行く感覚で豊島に行くという生活です。
しかし、私は放送部と兼部しており、放送部で1番大きな大会が6月の頭にあると言うことで、5月はそちらに時間を取られてしまいあまり演劇には行けず、6月はその大会で私自身は大阪予選落ちだったものの同期や先輩が大阪決勝に駒を進め、そして先輩が全国大会に駒をすすめたのでそちらの準備もあり、あまり演劇には行けず、そして7月は生徒会役員としての仕事があったり、放送の全国大会が2つあり、東京と佐賀へ行かないと行けないなどと予定が重なり、あまり演劇には行けずという感じでこの3ヶ月に渡るみのてし生活、実は殆ど行けていなかったんですよね。
そういうこともあり、最初は豊島の1年とすら全然話すこともなかったんですが、いつの間にか仲良くなってましたね。不思議ですね。
そんな余談は置いておいて、殆ど行けずに進んでいった最初で最後のHPF「ヒーローズオーバータイム」は無事終了しました。
殆ど行けなかったがため、役もなければオペもないという、状態でしたが何やかんや、舞台袖で衣装や小道具の整理などをしていて本番中は忙しかったなと思います。
そしてみのてし生活の最後を迎えるかのように思いました、まだありました。合宿です。
豊島の顧問が今までに勤務していた学校の演劇部を集め、箕面の数学の森で演劇のスキルを身に付けさせる合宿。例年、豊島・箕面・箕面東の3校でやっていたのですが、その噂を聞いていた池田がその年から参加することになり4校での合宿となりました。
合宿では様々な先生に来ていただいてWSを行っていただき、本当に有意義な時間でした。ただ、携帯の電波が通じない、虫だらけ、帰りが最寄駅まで2時間の歩き以外はですが。さて、これでみのてしの生活は終わりです。
ここからは豊島との生活で培った経験を活かして、みのえんが自分たちで頑張っていく番です。
みのえんとして行う1発目の舞台は文化祭公演「セーラ服とピアス」です。
ただ文化祭は自分たちの公演より、その前の仕込みが大変なんです。エアコンがついていないあの灼熱の体育館で4時間程かけて、照明を吊り込み、結線するというものですが、吊り込む灯体も少ないのにめちゃくちゃ大変です。しかもシュートが暗くなってからではないと出来ないので19時ぐらいまで待つ必要があります。そのため帰るのが20時過ぎてからになってしまいます。
そんな地獄の仕込みがあり本番を迎えた訳です。ただ全くもって本番の記憶がないのでこれ以上書くことがありません。
そして次が初めての地区大会です。「もし君の夢が叶ったとき、僕が君の隣にいなくても」でしたっけ?長過ぎて覚えられません。
ちょうど放送の大会と重なり、学校では演劇、家では放送と行った感じにずっと部活だったので睡眠時間が平均3時間程度といった頃の話ですね。さてこの作品では初めて照明をしたのですが、やらかしましたね。ラストのシーンでParを点けるところで間違えて隣のフェーダーの花道を点けるということをしました。しかもわざわざ他校の先生が違和感を覚え、本番中確認に来てくれたにもかかわらず、間違っていないと思い込んでいたので「大丈夫です」と言ってしまいます。言い訳だけしておくと、会場の照明ブースから舞台が見えにくいので、モニター越しに舞台を確認するのですが、モニターには花道が映らないのでついていると思わなかったんです。
さぁ、皆さんまだ読んでくれていますか?長過ぎて誰も読んでくれないだろうと思いつつ書いていますが、疲れてきたのでここからはそれぞれのボリュームを減らして書いていきますのでもう少しお付き合いください。
さて、地区が終わり年が変わった2月の頭、ソラ先輩の1人舞台の作品「世界を救うのはもうやめた」を大阪高校生演劇フェスティバルin池田で上演させていただきました。
この作品は個人的に一番好きな作品。というか一番準備が大変だったのでもう何回かやらないと割に合わないなと思っている作品です。演者も私も顧問もそれぞれの準備が本当に大変で、またどっかでやって供養したいですね。とにかく本番より準備の方が印象強い作品でした。
そして2月の末、当時の3年生(55期)の卒業式です。ちょうど全国で新型コロナの感染者が出始め、全国一斉休校が発表された翌日。ギリギリ卒業式ができ、送り出すことができました。この代は6人いたはずですが、最終的には3人に。しかもあったことあるのはだしまき先輩ただ一人という感じではありました。基本的に箕面高校は卒業式の日に3年生が部室を訪れ後輩が祝うという風習があるのですが、ソラ先輩は来ませんでした。どうせ寝ていたのでしょう。それが通常運転ですから。さてこの時は部員からは色紙を、顧問から作品の映像データ入りUSBがプレゼントされるのですが、この時は逆にだしまき先輩からポケモンシールを貰いました。だしまき先輩はボケのつもりで持ってきたのに喜ばれて大変困惑していましたね。ついでにソラ先輩へはだしまき先輩よりありがたいお言葉が与えられてましたね。「ちこくぐせなおせ」という。
▼実際の画像
さて、そうして6月まで休校が続きます。そこで4月からチアフルタイムのオンライン収録を始めることになります。
このラジオの編集が大変。特に最初の方は放送できないことをすぐ言うし、喋りすぎるしで30分の番組で4時間ぐらいかかりました。
そんな感じでラジオ収録以外はちょっと勉強して、あとはゴロゴロしたりゲームしたりと言った自堕落な生活をしていると、ようやく学校再開となりました。
学校再開となりましたが依然としてクラブは制限を受け、活動が十分できない日々が続きましたが、1年生が3人入ってくれました。
そうして8月、ソラ先輩の引退公演「天使に花束を」ですね。
例年であればHPFで引退になるのですが、HPFが中止ということで校内公演を行って引退ということになりました。この作品では私は初めて役者をしました。
完全にソラ先輩のわがままです。さてそのわがままによりやったのが父親の役ですね。本当にゴミみたいな父親でしたね、アル中で娘を殴る。その結果、妻も娘も亡くなってしまうわけです。とりあえずそんな感じの役でした。
そうして、私たちが引っ張っていく代となりました。ただ私もななも忙しい時期で大変でした。
さてこうした9月、またもや文化祭です。文化祭ではななが原案の「泡沫」をやりました。特に感想はないです。
そして地区でもこの「泡沫」をパワーアップ、と言うか名前とキャラだけを引き継いだ別作品のような気もしますが、そんな「泡沫」をやりました。
これでは特筆すべきなのは歌ですね。「Just a moment!」この曲は本校の芸術科音楽の先生に書いて貰った曲ですが何回もやり取りして出来ました。そのおかげもあり本当にいい作品になったと思います。
そしてこの作品の時に一番記憶に残っているのがななですね。ななが初めてアゼリア照明するので本当に緊張していました。普段、泣くようなタイプの子ではないんですが、本番直前、緊張とプレッシャーで泣きそうになっていましたね。いや泣いていましたね。特に私が上演①をクジで引いてしまったのでトップバッターというのもありましたし。
ななは基本的にノリでどうにかなると言った感じの考えなのでここまで緊張していたのはある意味新鮮でしたね。
そうして年も明け4月になります。無事全員が進級出来ました。
4月には新歓公演を兼ねて「コボレザクラ」を開催しました。
2年生が初めて脚本を書いて上演しました。初めてと言うこともあり、なかなか完成までいかず3月の頭に実施予定だったのが4月になりました。その分会場もセミナーから視聴覚にパワーアップしましたが。
さてこの公演ではまこととユッキーによる「どろぼぉぉぉぉぉぉぉ」そして、私、なな、りん、すずめの4人による「夜明けの光」を上演しました。
まず「どろぼぉぉぉぉぉぉぉ」はドコメディーのコント作品でした。所々に挟んでくる小ボケもいい感じでしたし、SEとかが細かく入っていたので、見応えも十分の作品だったように思います。
そして「夜明けの光」は演じるのが困りましたね。というのは私はマクベスという使用人の役だったのですが、ななが演じるオーロラ姫とくっつくかどうかみたいな役だったのでお互い恥ずかしかったですね。普段からずっと一緒に居るので、その微妙な距離感を演じるのが難しかったですね。まだ後輩とやるよりはマシだとは思いますが。
そうして4月の「コボレザクラ」も終わり8月まで飛びますが、今回の「パイナップルは時期外れ」になります。この作品はソラ先輩とだしまき先輩が地区でやった作品ですね。ちょうど私たち3年が入学する前の年の作品です。
HPFはコロナのこともあり上演数がかなり削られてしまい、エントリーすら断念してしまったので今年も校内公演で引退するかと準備を進めていました。
ただ3年が受験やら行事やらで忙しく部活にあまり時間を割けないと言うことで2年に脚本を任せたのですが、なかなか進まず、公演の1ヶ月前の段階でプロットすらと言う状態だったので急いで過去作品などから探し、この脚本でやることになりました。
そして公演まで残り1週間と言うタイミングで緊急事態宣言が出てしまいオンライン開催になってしまいました。そこからオンラインに向けて急ピッチで準備をして本番を迎えられました。
今回も1年前と同じく父親の役でしたが、またゴミみたいな父親でしたね。子供に穀潰しといい、奥さんはいってしまう。なぜかこんな役ばかりです。さてこの役に対しては別に言うことが全くありません。
まず言うことがあるのは小鉄。1年で初めての舞台にもかかわらず思い切って演じられていました。特にセリフも長いものが多く、ボケもちょこちょこ入ってくるという役でしたので1年には酷な役ではあると思っていましたがしっかりやってくれました。
そしてりんも泣きましたね。泣こうと思って泣いたのではなく勝手に出てきたと言うことなのでそれぐらい役に入ることができていたのは凄いの一言に尽きますね。
最後にななは2つの役がありましたが母親役が緊張しすぎですね。地区の時ほどでは無いですが緊張してましたね。ずっと袖で揺れてました(笑)。
こんな感じでざっと振り返ってきました。
完全に途中から疲れてきて尻すぼみになっていますが許してください。
さぁいよいよ引退です。
ここまで沢山の出会いをもたらしてくれた演劇部ともこれでおさらばです。ここまでやってこれたのも先輩や後輩、顧問の先生方、豊島をはじめとした地区の仲間、応援してくださった皆様そして何よりななのおかげです。
皆さんのおかげで未経験だった私がここまでやり切ることができました。一時は部活を辞めようかなんてななと話していた時期もありましたが、今日まで来ました。
これからも後輩たちがこのみのえんをきっとより素晴らしいものにしてくれることと思います。
本当にありがとうございました。今後もみのえんの応援をお願いいたします。
先日は引退公演兼1年生顔見せ公演をご観劇いただきありがとうございました!
そして遂に…Nanaはこのみのえんを引退しました…(/ _ ; )ウエーン
中学演劇の経験から、演者はもうやらないって決めていたのに、振り返ってみると演者として舞台に関わることが多かったみのえん生活でした。
部員数の関係と、新入生で唯一の演劇経験者だったという理由で演者になってしまったんです。
一応拒否ってはみたんですけどねぇ…無駄でした笑 また違った環境でやってみると新たな発見があるかもしれないと持ち前のポジティブさを貫いてリスタートさせた演者人生でしたが、苦手意識が払拭できずに苦しんだ時もありました。
でもここまで楽しんで作品に取り組めたのは、家族や親戚、友達、先輩方、後輩達、先生方、オペっ子達、そして、いつも私のことを近くで見守り支えてくれた、くぼっちが居たからです。皆様、ありがとうございました!ありきたりな言葉かもしれませんが、今の私が心から伝えたいことです。これからも、ありきたりだけれども1番大切な"ありがとう"の言葉を伝え合える仲でずっと居れたらいいなぁって思っています。
最後になりますが、ここまで応援してくださった皆様、本当にありがとうございました(*´꒳`*)またどこかで会える日を楽しみにしています。
みのえん大好き❤︎
どうも。はじめまして。
あけましておめでとうございます