次男の通っている公立中学校は、毎学期三者面談がある。

だった15分で話す内容は、

生徒に学期振り返りの簡単な記述を書かせて、

保護者面談で親に読ませる。

それから、家庭内での様子、学校での様子を話したりするんだけど、今年の担任は会話が薄くて壁を作っている感じ。

小学校にもいたよ。そういう先生。

公務員だから、やたらな事は話せないとガードしているのかな、

「学校連絡でショッピングモールで騒いでいる生徒がいるとお知らせがありましたが、クラスや学年で何か特別変わりはないですか?欠席児童が多いクラスがあるという話しも耳にしましたが。」

と話すと

「それは上級生の話ですから。」

上級生だから関係ないって事?

それおかしいでしょ。同じ学校なのに。

それに、うちの子の学年はどうですか、と聞いているの。息子の学年ももう上級生だよ?


成績表も見せてもらうのがお決まり。

私はふと、「でもこれって本当の勉強じゃないですよね、義務教育で決められた期間に決められた勉強をし、高校に行く為にテストで良い点数を取る為の勉強‥」

「高校の先には大学進学があって、受験の為の勉強で、本当の『学び』ではない‥だから苦痛に思う子もいる訳で‥」と私は呟いた。


何故こんな事を言い出したかというと、

私が美大受験を目指していた高校生の時、実技試験のデッサンや色彩構成を習いに通っていたアトリエ(絵画教室)の先生がそう話していた事を今でも思い出すからなのだ。


アトリエの先生は「今、君達が習っている事は本当の『美術』では無い。美大に受かる為の練習で訓練だ。だから楽しくない。美大に入ってから本当の美術というものを学び、楽しむ。」

と話していた。

確かにそうだった。

毎日、美大に合格する為の画法を学び、練習し、デッサンし、色を選んだ。

それが基礎で、本当に学ぶのは入学してから。


息子の三者面談で、「受験の為にテストで良い点数を取り、成績を上げる為の勉強を今学校でしている。楽しく無い子もいると思う。」と話してしまった。

先生は目をまるくしていた。

「楽しい事だけという訳にはいきませんから。」

「確かに教える内容やカリキュラムが決められた期間にありますからね、それでも興味を持つようには教えていますし。」


本当の学びって何か、みたいな話をしたかったのだが、先生には届かなかった。

なんか私、クレーマー?

「今はお子さんの話の時間なので、難しい話は後にしましょう。」

難しい?それは先生が難しいと決めつけているんでしょう?

次の親子の面談もありますしね、今時計見たよね。小学校にもこういう先生いた。


なんか、お味噌汁の上澄みだけすくった面談が毎回の1年間だった。

やる意味あるの?みたいな。


進路相談の話しても詳しく話も教えもアドバイスも無いし、クラスの雰囲気や様子聞いても曖昧な返答ばかり。

去年の担任の先生の方が良く話てくれ、教えてくれた。

もう学年終わるからいいんだけどさ、あまり良くない先生だった。

他の生徒や保護者の評判は知らないが。


私は帰宅してから息子にいろいろ話をした。

美大受験の勉強が訓練みたいだった事とか、何故今学校に自分が通っているのか?何故来年、高校受験をするのか?その先に何故大学受験をするのか?何故就職するのか?考えた事があるか?

毎日「今日、自分は何をやったか、何をやれたか、出来たか」夜寝る前に布団の中で思い出せる事をしなさい。

ボンヤリ生きてちゃだめ。


と伝えた。


私は毎回仕事に行ったら「今日は時間内にこれをする、して帰る」と目標を決めて仕事している。

出来なかったら次回出勤で続きをやろう、とか仕事の段取りを考え直したりする。

休みの日、家で掃除をしたら一つオプションをつけて「今日は〇〇の箇所を綺麗に出来た。」と思える様掃除する。


何でインド舞踊を習っているか?

インド楽器タブラを習っているか?

日本語ボランティアに興味を持ったか。

日々の生活を天秤にかけても必要だった深い深い理由がある。


今日の三者面談で担任の先生とは形式だけの薄っぺらい話しだけで、とても残念だった事も話した。

過去に評判の良かった先生はこんな対応しなかった。


家で息子に話している内に感極まり泣いてしまった私。

とにかく受け身でボンヤリ今を生きないで欲しいと、行きく所はそれだった。

前勤めていた会社で東大出身の子がいた。

「どういう勉強をしたら合格出来るんですか?」と本人に聞いた。

「学校に入学した時から東大受験が当たり前だったので。特に何も。ただ、勉強しかしてこなかったから、社会人になったら何も無い。」

と話していた。

その話もした。


今日自分は何をやったか?

自分が考え抜いて決めた事なら、

他人がどう言おうと関係ない。

曖昧さの中で生きていてはいけない。

それから、世界にはいろんな国があって人がいる。日本だけが世界の全てでは無い。


面談から戻って、ずっと息子に話し続けてしまった。

本当は、教育者から聞きたかった話。

残念。やたらな事が話せないというなら、そういう風潮の日本も残念。

ただわからないだけなら非常に残念。


私は今、視力が激下がりで、眼鏡の度数が弱くて、眉間に皺を寄せながら面談をした。

さぞおかしな保護者にうつった事だろう。

息子にはもっと広い世界をみてもらいたい。