前からスッキリしない事がある。

日本でインドのイベントがあると、踊りや演奏に出演しているのは9割日本人。

10年以上前に、私が何かインド文化の踊りを習いたいと思っていた時、最初はカタックを習いたかった。

理由→

インドから招致した、

インド人のカタックダンサーの踊りを観たから。

イベント舞台だったので、ガッツリ踊ってくれたわけではないが、ほんの数分のステップ、手の動き、舞で胸を鷲掴みにされた。

だから、日本で習える教室はないかと探して、日本人ダンサーのカタックダンスを何度も観たけど、あのインド人ダンサー達の様に胸を射抜かれなくて、日本人では無理なのか、とモヤモしていた。

他にも日本人によるバラタナティヤム、オディッシー、モヒニアッタム、色々観た。

胸に来ない。日本人ではダメなのか?

そんな時、今の教室のバラタナティヤムを観る機会があり、ここだけは違うかも?と思い現在に至る。


モヤつくのは、インドがらみの集い、公演、イベントはあるけれど、全て日本人。

そしてインド関係の身内しか集まらない。

狭い世界。

インド人の居ないインドコミュニティで、

インドについて語る。

モヤつく。


先日、インドのある地方の舞と歌を披露している日本人がいたので、その地方出身のFacebookのインド人友達に動画を見せて意見を聞いた。

「これは私の故郷の踊りと歌です。」

「確かに上手ではない。」

「歌も拍子もよく外しています。」

「けれどインドの文化に取り組もうとするファイティングは良いと思う。」


あれもこれも学んで習った!私は知っている!

あの人はインドで学んで来たからすごい人。

そうやって評価されている人、自分は出来ると思っている人、沢山居る。

でもインド人と全然違う。

私はインドの真髄を知りたい、触りたい、体感したい。

だから古典舞踊を習う。

本当はインド人に習いたいと思う理由もそれ。


なんかスッキリしない。


Facebookで見つけた美しい石像。

本物っていうのは足のひと踏、手の一振り、一瞬の画像、一瞬でわかる。

わからない人があれもこれもやってやれた、知ってると騒いでいる気がする。

本当に理解するなら相当な時間がかかるはずだと私は思う。

だから時間が足りないと私は嘆く。