美濃部屋敷と
富川屋敷

http://www.466-bun.com/f7/sh-f3312minobe.html

 

 

 

築城時期は定かではありません。美濃部氏は甲賀53家であり、その内の21家であり、伴氏、山中氏と合わせて柏木三家と呼ばれるそうです。

美濃部氏は菅原道真の末裔と言われます。道真が太宰府に左遷された際に、道真の四男の4男淳茂は菅原家の荘園であった美濃部の郷(今の水口)の長(おさ)預けられ、その後、長の娘との間に直茂をもうけました。淳茂はその後京都に帰りますが、直茂は美濃部に残り、美濃部直茂と名乗りました。

 

南北朝の頃には美濃部元茂の名があり、美濃部氏は甲賀武士の中心的存在であり、戦国期には信長に仕え、美濃部茂濃、茂盛の名があり、さらに、本能寺の変後、茂濃は徳川家康の伊賀越えを助けた事で関ヶ原の戦い後は家康に仕えて、江戸期は旗本になりました。

 

五代古今亭志ん生、三代目古今亭志ん朝、元東京都知事美濃部亮吉はご子孫との事です。菩提寺は心光寺が水口にあります。

 

梅ケ池説明板と石碑     

美濃部古屋敷大手門跡

 

  

美濃部古屋敷土塁痕   

  

富川屋敷土塁
http://www.oshiro-tabi-nikki.com/tomikawayasiki.htm