浄土宗をお開きになられた法然上人は今から約八百数十年前、百萬遍知恩寺の前身であり、賀茂の禅坊と当時呼ばれていた賀茂の神宮寺に住まわれました。そして都の人々に「念仏のみ教え」をお説きになられたのです。
建暦二年(一二一二)正月二十五日法然上人は入滅され、法然上人の直弟子である勢観房源智上人が師の恩に報いるためには「恩」を「知」らなければならないと知恩寺と名付けられました。
元弘元年(一三三一)第八世善阿空圓上人の時、地震がもとで都に疾病が蔓延しました。それに心を痛めた後醍醐天皇の勅命を受けて弟子らと共に七日七夜にわたって百万遍の念仏を称えながら大念珠繰りをしたところ疫病が治まったことから「百萬遍」の号が下賜されました。その後幾度かの移転を経て、江戸時代の寛文二年(一六六二)第三十九世中興の光譽萬霊上人によって現在の地に再興されました。
伽藍の中心的存在である現在の御影堂は第三十九世光譽萬霊上人によって寛文二年(一六六二)に建てられたものを第四十八世震譽知巖上人が宝暦六年(一七五六)に一回り大きくして総欅造りに改めたものです。
法然上人二十五霊場 第二十二番
百萬遍念仏根本道場