コミュ障の定義が外見とのマッチングによって色付けされやすいから、コミュニケーション能力がない人に対して陰気臭い感覚が少しでも伴っていると
途端にそこで合点がいって、コミュ障=陰気な感じという印象が多いけど、
実際関わっている分にほとんどの人間が本質的なコミュニケーションから逸脱していると思う時はある。
相手に意思を伝える行為がコミュニケーションであるなら、その時点で矛盾しているんだよね。
意思を伝える行為に対して、日本人並びにほとんどの人間がそうだろうけど、責任がどこにあるかという部分を気にするから、言葉の責任を回避しようとする癖が多いんですよ。
つまり相手に対して意思を伝える時に、必ず相手に責任がいくように仕向けたり誘導したり無意識にしているということ。
女の会話とかはわかりやすいけど、例えば何が食べたいかという問いに対してなんでもいい、わからないという定型文が必ずと言っていいほど返ってくるが、
自分の言葉に責任を持ちたくないから相手に委ねるんだよね。
本来言葉の意図は相手に対する意思確認であるのに、それを放棄しているという部分で
会話に無意味な段階を踏まないと答えに着地しないわけ。
なんでもいいとかわからないという言葉によって相手に自分の疎通を測ることを放棄している時点でそれはコミュニケーションではなくて、一方的な拒絶としか思えないし、コミュ障の括りと一緒だろと思う。
過度に責任能力を追求されることに対する条件反射が前に出すぎた会話で、相手に意思を伝えることすら億劫なら、基本そいつのことを介護する感覚で
理解してあげる方向性で動かなければいけないし、
それを当たり前に受動的に接する人間も多い。
特にそういった部分が露見しても根本的には他責思考と一緒だから、相手がこちらの意思を読み取ることが前提になった会話が通常になると、
不正解を引いた場合もその意思を教えてくれないくせに、あとからギャーギャー文句や我慢していたみたいなことを感情的になって吐露することもよくあることで、
よっぽどでもない限り、内向的とか暗い人間だとしてもそこの意思疎通がきちんとできるのならまだマシに思う。
で、そのコミュ障という定義を括っていくと、
コミュ障は嫌われるものやはりステータス的にはデバフ効果でしかなくて、レッテルを貼られた途端に割と不利益になりやすいこともあるだろうけど、
コミュ障自体の定義がコミュニケーションが不向きであるということであるのなら、割と誰にでも当てはまってしまうんですよ。
色々な条件で、一概にこれであるというものが定義できない概念なので。
人は基本的にそういう忌み嫌うものを掲げて貼られたレッテルに対して、避けたがる傾向があり、
それは色々な面でもそうかなと思っていますが、
避けることですら、人間関係に対して内向的であるという位置づけで見られる理由にもなるので、
言い出したらキリがないと思う。
ただ現代は、
言葉をキャッチボールのように返すという行為自体もあまり好んでないんじゃないかという風にも思っていて、都合の最善化の中でしか興味がないんですよね。
皆自分のことだけを話したくて、他人に興味がないし、需要とか自己都合とかでしか人を選んでない。
だから、我慢して集団の中の特に仲良い人でもない人と迎合するとか、
別に深い訳でもない仲でも、協調的にお互いが信託するみたいなのもないし、
例えば宴会や飲みの席も仕事外では関わりたくないから出席しないみたいな、まるで本当に先々より今のことしか考えてないという人が増えたのが原因でしょうとしか思えない。
嫌なこととか面倒なことを遠回りでもいいから通過するという行為をしないと
やはりそこへの耐性的なのもつかなければ、一期一会というか細かくて些細な影響力を段々荒削りして無くしていくことにも繋がったりもするんだけど、そこを理解してないよねっていう。
理解していてそれならいいんだろうけど、
いつまで経っても変わらない人もいるのにそれで悩んでたら本末転倒だろと思う。
そうなってくると、全体的に見てどんどん人がつまらなくなってくると思うし、多分彼らは現代の社会のあり方や風化した感覚に飽きていると思う。
抑圧されることに対して特に続ける意味を考えられる経験もなく、泣く泣く続けていたようなことだったんでしょう。
俺は単に人と馬も合わないのがほとんどで、他人に迎合する以外に関わり方を知らないのですが、
やはり自分を優先して欲しいという欲求は誰からでもみます。
コミュニケーションは自分にボールが渡ってきた時にどれだけの球数と自分のターン数を稼げるかが問題で、そのやり方もこちらで決めたことを相手に考えさせ伝えないみたいな意地の悪い感じが多い。
基本的にこちらから球を投げるよりも、向こうがターンを終わらせないから投げる番がこなくて
聴き手を永遠にして、投げられる球をいい感じに処理してあげるくらいしかやってないから、実質楽しいのはいつも相手なんですが、多分それをお互いがやろうとしてるから皆つまんないんでしょうね。
どっちかが我慢したり、自分の球の責任やその気持ちの真意をきちんと調節伝えればいいのに、それもせずに去っていくし。
まあ自分もそうでしたが、全部一緒で日本人はそこでひけらかす能力や自分を自立させる能力が極端にないんだと思う。
その結果、表面的な部分で良好などうでもいい関係だけが増えているんだと。
自分が今満足できているのであればいいだけの短期合戦が需要がある現代で、マッチングだの婚活だのまあ流行っても上手くいくことはないよねとも思うし、
本気で人を信用できる関係性を求めたい場合は早期から人に対する観察眼と経験を養っていくしかない。
また、コミュ障を脱したいというのであれば、時と場合を考えた発言の上意思疎通が可能なことを前提にした会話を心がける必要が最低限の義務になるんだと思う。