尾張はとても気の利く人間だ。
家族と外食へ行くと高いメニューは食べないようにしているし、いつも友人や家族の意見を尊重している。快く人の相談や質問を聞く。余計な自分の話は喋らない。
みんなが不愉快な思いをしないようにしよう。そう思って生きてきた。

結局依存である。
周りの数少ない大事な人たちに迷惑をかけないように。嫌われないように。

しかし素朴な実感として、尾張は他人から望まれていることをしているときが幸せなのだ。
こんなこと言うと偽善者くさいし、実際尾張がまるまる善人なわけでもない。
でも、自分の中で、できるだけ、善人であろうとした。


尾張はASDグレーというやつのような気がするのだが、こだわりが強いってこういうことなんだろうか。
ネットで調べたがよくわからなかった。

尾張は中高の環境が肌に合わず、ようやく最近自分が空気の読めない人間なんだと気づいた。
自分は他人の気持ちがわからないやつなんだとも気づかされた。


つらかった。

自分が思っている世界と、本当の世界は噛み合っていなかった。

自分は自分が思ってるよりめんどくさくて、メーワクな人間だった。



自分が精一杯気を配っていることは、全く、喜ばれてなどいなかった。

他人から悪意を向けられて初めてそのことに気がついたのだから馬鹿な人間だ。

僕は善良な人間であることをやめようとした。
正しいことを貫くのはやめた。
必要以上の人との関わりはやめた。
気配りよりも自分の傷を大切にした。

そうしたら、善良な僕が、耐えられなくなった。

最近、ふつふつと「自分は何も望まれていない」という思いが湧いてきて、こいつにしょっちゅう頭の中を支配されている。
どの大学に行くことも望まれていない。どうあることも望まれていない。

もちろんこれは自由を表していると言ってもいい。僕は好きな大学に行けばいいし、好きなように生きていい。
ただ問題は、僕が好きな自分というものが、「気が利く自分」であったことだ。

僕はそこがどうしても現代社会と噛み合わないから、そこを捻じ曲げて生きている。

じゃあ、どうしたらいい?僕はどこに向かえばいい?

それでも周りからしたら空気の読めないウザい奴のままなのかもしれないし、善良な人を嫌がるのは実は本心ではないなのかもしれない。あるいはもしかして、尾張はズルい人間だと思われてるかもしれない。

なんだっていい。結局正解は分からないままなんだ。