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スウェデンボルグ⑥ 1757年の最後の審判 ~霊界のバビロンのようす~

$みんなが輝ける世界を作ろう☆-バベルの塔

 人間が悪徳の街バビロンやバベルの塔を造って、自らを神にしようとし、それに失敗したことはキリスト誕生以前の事を語った『イザヤ書』にも書かれている。
しかし、その後も堕落した人類はバビロンやバベルの塔を何回も造ろうとした。少なくとも霊的な意味でそうしたのであり、世界中の堕落した民族がそれぞれのバビロンを造っていたのだ。
その中でも、判りやすくキリスト教徒の場合を述べてみよう。

1757年頃の霊界のバビロンについて
 この頃、霊界でもっとも腐敗し、その中でも最も巨大なバビロンを築いていたのはキリスト教徒、つまりパピスト(ローマ・カトリック教徒の蔑称「べっしょう」)たちだった。
 それは彼らが人間だった時に真理を一番ひどく歪曲(わいきょく)していたからであり、これはルターが激しく論難した通りであった。

※歪曲(わいきょく)・・・・真実を歪(ゆが)めること。
 彼らの造ったバビロンは、キリスト誕生以前のバビロよりもっとも腐敗したものだった。
 何故なら、歪曲の仕方が一層悪辣(あくらつ)で巧妙なものになっていたからだ。
 彼ら(キリスト教徒・パピスト)は自分たちの教祖たるキリストを敬(うやま)うふりをしつつ、結果的には、自分を神にしたのだった。
 ローマ教会は、何度かの教会の総会議で様々な歪(ゆが)んだ宗教政策を決定し、これによってどんどん堕落の道を歩んで行った。
 キリストを神聖なる部分と、人間的な部分に分け、人間を救済する力は神聖なる部分にあり、その(神聖な)部分は教皇など教会関係者らに譲渡(じょうと)されたという決定をするに至った。
 つまり人間を救う力を教皇およびその配下にある宗教組織が一手に独占することになり、これは自らを神にすることに他ならなかった。
 ローマ教皇は、この種の会議で「ロードス・ヴィカー(キリストの代理人)」と正式に決定されたことは誰でも知っている。
 出先機関である教皇配下の宗教組織も、キリストの代理人のさらに代理人であり、人間を救済するといおう、おごり高ぶった権能を持つことにされたのである。
 彼らは人間を救う権能を持つ神なので、死後の霊魂を救済して天国に入れてやることも地獄に落とすことも出来ることになった。
$みんなが輝ける世界を作ろう☆-免罪符

枢機卿は民衆に免罪符を売り付けた
『免罪符(めんざいふ)』という子供騙しのお守りを交付された者は、罪を許され天国に行けるとされたため、免罪符は激しく濫売(らんばい)された。 さらに『創世記』などは、黄金時代の完全な知覚で獲得した真理を、十分な霊的知覚力を持つ古代の優れた予言者たちが文書に書き残したものである。
 これが正しく読まれれば、後世の人間にもおおいに役立つ貴重な宝物といえる。
 しかし、彼らはこれが正しく読めなかったばかりか、正しく読まれるのを妨害したり、普通の人には読めないようにもした。
 また、普通の人には理解できない言葉でミサなどをやり、健全な人々を狂わせたのも彼らであった。
 彼らはまた聖人などという制度を作って濫造(らんぞう)し、聖人をまるで神のように崇(あが)めさせた。所謂(いわゆる)
聖人崇拝も偶像主義の一種に他ならない

 また告白なる制度を作り、彼らのやり方に従わず、告白しない人を地獄に落とすといって脅迫した。
 さらに修道院などもどんどん増やしたが、そこは一面スパイの巣であり、修道院は世間にスパイを放って、世人を監視する宗教的圧政の本拠にもなった。
 以上のことからみて、彼らがやったことはバビロンを作り、バベルの塔を建てる意外の何ものでもなかったことは容易に理解出来よう。
 人間は死後も生前の心情のかなり多くの部分を残している。パピストたちが霊界でもバビロンやバベルの塔を造ろうとしたのは当然であろう。

霊界でのキリスト教徒(とくにパピスト)の様子
 彼らの霊界での生活ぶりは、ほとんど人間だった時と同じだたと言っていいだろう。それには偶像崇拝も含まれていた。
 彼らの霊界にはローマの枢機卿(すうききょう)会議室の様なものさえある。
 ここで彼らの宗教界のリーダーたちが集まり会議をしていたが、そのテーマは一般民衆をいかに盲従(もうじゅう)させ、教会側の支配力を強化するかというものであった。当然、この建物には霊界の一般民衆は近寄ることが出来なかった。
 もちろん宗教関係者の中にも心正しい人はいるが、そういう者は会議にすら出席が許されなかった。

聖人崇拝もまた偶像崇拝である。
 彼らは霊界でも聖人崇拝をやっていた。しかし、崇拝対象の当の聖人の姿が見つからないので彼らは当惑していた。
 その理由は簡単である。
これは審判をまだ受けていない第一霊国のことである。
 問題の聖人たちは自分のことを神の如く崇拝してくれる相手を探し回って、自ら地獄(幽界)に落ちていたからである
 聖人たちが地獄にいることは、霊界の枢機卿会議に出席している高位の聖職者たちは知っていた。彼らも、聖人を探し、聖人が地獄にいることを確かめていたからだ。
しかし、なんと彼らはこのような聖人を軽蔑しながらも、地獄にいることは一般の霊には秘密にしていた。その法が自分たちにも得だったからだ。

霊界での監視
 人間界で修道院などを民衆監視の機関にしたいたのと同様に、霊界でも監視の為の塔が建てられ、同じ役目をしていた。
 この塔は、結局は自らを神にしたがったパピストのリーダーたちの心情から作り出されたものである。その意味は要するにバベルの塔だったわけである。

彼らの住む町の様子
 パピストやルターらの宗教改革はお互いに知覚に隣接して住んでいた。
彼らは心情が似かよっていたので知覚にいたのであろう。
 彼らの住む世界は細かく見れば見るほど(現世の)地上でのそれと似ていた。
 街の南に住んでいた者達は、人間界にいた時はにはズル賢さで他人に勝り、宗教的には狂信的な信者だった
 そして彼らと一緒に、人間だった時に高位にあった者や金持ちだった者が住んでいた。
 彼らは泥棒を恐れて地下に住んでいた。
 僧侶たちは、信者から集めた高価な品物をたくさん持っていて、それを自分の家や地下の倉庫に大切に隠していた。
 彼らは実に巧妙に地下倉庫をつくり、そこには迷路を通らずにはイケないので、持ち主意外は入れなかった。
 彼らは、これらの品物は永久になくなることはないのだと信じていた....。
また、たくさんのグループがあり、自分たちをキリストの会と称していた。