ヒビコレカケラ1~あの日のバゲット~(CM) | Fragment

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ホミンを色んな仕事させながら恋愛させてます。
食べてるホミンちゃん書いてるのが趣味です。
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ブーランジェリー ヒビコレヨキヒ

僕が経営するブーランジェリーだ。
ブーランジェリーと名乗れるのは、小麦を選ぶところから行い生地を作り、パンを焼く職人がいる店のことを言う。
パン屋には変わりないけれど、ブーランジェリーと名乗れる店は限られてくる。
だからうっかり何も知らず響きだけで店名を決めてはいけない。

ブーランジェリーの語源、「Boule」とは「球を作る人」を意味する。
「地球を作る人」を表すそうだ。
地球を作る…つまり「神の仕事」を意味することになる。

これだけ聞くと凄いよね。

職人は一生懸命作ったパンが窯の中で焼き上がるまで、材料となる食物…命をいただいていることに感謝し、美味しく出来上がることを祈るんだ。
その精神を持ってパンを作る職人のみが、ブーランジェと呼ばれるのだそうだ。

僕が経営出来るようになるまで、職人として僕を育ててくれた師が最初に教えてくれたことがそれだった。
だから僕はパン屋ではなく、ブーランジェと名乗れる仕事がしたかった。

それが忘れてしまっている大切な何かを思い出せることに繋がるような気がして。

僕のなかには、もうひとりの僕が存在している。
もうひとりの僕というよりは、記憶なのだろうか。
例えば前世。
いつの時代なのかもあまりわからないけれど、僕ではない僕の記憶が時々頭の中に流れるのだ。
過ぎる映像に現れる人物は、確かに僕と同じ顔をしている。
そのもうひとりの僕も、パンを作る仕事をしているようだった。

焼けたパンを見つめ、それから誰かを呼ぶんだ。
でも頭の中に過ぎるのはそこまでで、誰が僕の前に現れたのかもわからない。
名前も聞き取れないままに現実に引き戻される。

そういう時に、自分ひとりだととても寂しくなるんだ。
本当は僕には一緒にパンを作ったり、食べてもらったりするような誰かがいて、いつもその人の名前を呼んでいるのではないかと思う。
モヤモヤとしたままブーランジェリーの経営をしているけれど、一向にその答えは見えてこない。
けれどこの仕事はやはり好きだし、いつか答えが見つかるのではないかという期待もある。

だから今日も、パンを作る。

僕と繋がる誰かが食べてくれるかもしれないパンを、誠心誠意を込めて作るんだ。

いつどこで、どんな人が食べたとしても、僕が作ったもので何かを感じて貰えるような。
そんなパンを作りたいと思っている。

誰かの毎日に添う、一欠片のパンになる。
誰かの糧になるのなら、美味しいものがいい。
誰かの毎日を、口にするものからよくしていく。

僕はそんなパンを作っていきたい。

きっと、前世だか別人格だかよくわからないけれど、もうひとりの僕もそう思っていたに違いないから。
まあ、フランスのほうの人間ではないと思うけどね。


僕はシム・チャンミン。
小さなブーランジェリーの店主をしています。





僕の店は祖父母が開いたものだ。
僕で2代目になる。
もう創業者のふたりはいないけれど、幼い頃からふたりの間に挟まれてパン作りを教わってきた。
今は両親が経理を請け負ってくれていて、作るのはほぼ僕ひとりだった。

「あなたの方がふたりの味に近い。」

両親にそう言われて、ふたりは裏方に回ったのだった。
2代目として両親が受け継ぐはずだったのだが、追い越して僕が作ることになった。
最初は不安だったけれど、馴染みの客に食べてもらって合格の声を貰った時の喜びは、今でも忘れられない。

ブーランジェリーと名乗っている上で、やはり基本はフランスのパンをメインにして置いている。
バゲット、ブール、クッペ、パン・ド・カンパーニュ―――
これらは毎日食べるもののように、祖父母がふたりで試行錯誤して作り上げたものだ。
品数は多くない。
基本のこれらを毎日焼いて、季節のフルーツを使ったものや甘いものも楽しめるように置いている。
基本を大切にする祖父と、遊び心を楽しむのが祖母だった。
例えば、祖父が基本のハードなパンを大切に作る横で、祖母はバターがたっぷり使われたクロワッサンを作ったり、バゲッドに合うジャムやバターを塗って食べていたり。
そんなふたりのいいところを失わずに続けていくことが僕の死ぬまでの目標になるだろう。

思い出したいことを見つけることと、受け継いだものを失わないこと。
このふたつかな。
彼らが焼いたパンはもう食べられない。
だから彼らの味から離れるものを作りたくなかった。
忘れてしまうことを恐れて生きている。
何かを既に忘れてしまっているくせに。









仕事の始まりは早い。
そして1日が長い。
幸い僕の店の場合、片付けや接客は両親がしてくれる。
僕の店のバゲットは冷蔵で長時間発酵させる。
開店時間に合わせて発酵させると、夜に生地を寝かせなくてはいけない。
だから仮眠をとってバゲットのための仕込み時間を作るサイクルが出来上がっている。
仮眠している時間に両親が店の回してくれている。
だから僕が朝の仕込み、陳列に専念ができる。
昼前ぐらいから接客もわりとするけどね。
その辺は3人で行うなかで適宜動いている感じだろうか。

そんななかで、よく顔を合わせるお客様というものも出てくる。
例えば。
開店は朝7時。
それに合わせて朝食を買いに来るサラリーマン。
いつの間にか来るようになって、買いに来ると同時に必ず話しかけてくるのだ。

『9時から近くの会社に伺うんだけど、それまでいてもいい?』

『どうぞ、ご自由に。』

こんなふうに。
狭い店内に、気持ち程度のイートインスペースがある。
2席ばかりの荷物置き程度のスペースだ。

僕の店は都内のわりと中心にある。
住まいもその辺にあるのだが、祖父母の代でこの土地を買っておいてくれたから続けられているのが大きい。
オフィス街でもなく、近隣には小中学校や区民の体育館、図書館も介護施設もあるような場所だ。
文豪にゆかりがある地域というのもあって、比較的落ち着いた雰囲気はある。
店舗は大半がパンを作る工房で場所を取っている。
狭いスペースに商品であるパンが並べられ、レジがあって、窓に面してとても短いカウンター席を設けてある。
だから正直イートインしていくには落ち着かないと思う。
それでも例のサラリーマンが滞在するし、わりとたくさんお買い上げしてくれるものだから撤去出来なかったりもするのだった。

そうそう、そのイートインのお客様の話し。

彼は勝手に「モーニングセット」とか言ってカットしたバゲットとスコーンを買う。
僕が1度、食べていくならバゲットを温めるか聞いてしまったのが始まりだった。
カットしたバゲットにバターを落とし、軽くトーストする。
スコーンも温めた方が美味しいからね。
これもサービスとして、作業しながら飲んでいるコーヒーを出したことが定着してしまって、立派なセットになってしまったのだった。
コーヒーや紅茶などのドリンクは置いていない。

彼の好み的には、バターたっぷり、いちごのジャムがあるとなおよし。
コーヒーには砂糖を添える。
そんなところか。

こんなサービスはこのサラリーマンにしかしない。
食べていく人がこの人ぐらいしかいないから成り立っているのだが。
それに昼間にきて、甘いパンが並ぶとたくさん買っていって営業先や職場に差し入れをするらしく、いいお客様であるからだった。

この人の空気に押されてしまう僕も少々含まれるけどね。

名をチョン・ユンホという。
わざわざ名刺をくれて挨拶までしてくるようなお客様だった。

『チャンミン、あっためて。』

妙に親しげなのことにも既に慣れてしまった。
今朝もバゲットとスコーンをトレイに取って会計をする。
このふたつでちょうど大きい硬貨1枚ぐらいの値段になる。
そしてコーヒー代として釣り銭は受け取らないと言い張るのが習慣になった。

『この前丸いヤツ持っていったら超喜ばれた、女の子に。』

『丸いヤツ?』

『あ、それそれ、それ、』

彼は作業スペースのコンテナで冷ましている途中のベーグルを指した。

『ああ、ベーグルですか。確かに女性は好きですよね。』

『チョコレートっぽいやつ喜ばれたよ。』

『ああ、はいはいはい、クランベリーを入れた時のですね。』

『それそれそれ、でもさあ、甘いやつも好きなくせに「甘すぎなくていい~」とか言うのね、その差がよくわかんないわ、俺。』

『ふふ、』

会計を済ませてから食べるまでが長いのもこの人のペースだ。
必ず話しかけてくる。
必ず。
悪い人ではない。
それはなんとなく言いきれる気がする。

『で、いつ会える?』

二言目にはこう言ってくる。
ここまでくるとそろそろ席についてくれる合図だ。

『僕は夕方には寝ますから、はい、バゲットが冷めますよ。』

『休みの日、休みの日、』

『休みの日くらい寝ていたいですね、』

温めたバゲット達が乗ったトレイを僕が席へ運ぶ。
すると彼がついてきてようやく話しが終わるのだ。
これが日課になっていたりする。
彼はパンを食べながら新聞を読んだり、ノートパソコンで仕事であろう作業をして過ごす。

僕はお客様の入る様子を見ながら、焼きあがったパンの世話をしたり、焼き上げる作業をして午前10時頃まで過ごす。
どうしてもすべての種類のパンが焼きあがって揃うのは、そのぐらいの時間になってしまうのだ。

午前9時少し前。

『チャンミン、ご馳走さま。』

『ありがとうございました。』

働きに行く時間のようだ。
パンくずで散らかったトレイを預かり、片付ける。

今日はいつもと違うことがあった。

『あのさ、』

『はい、』

『チャンミンって、男の人、好き?』

『え?』

真顔で聞いてくるから、変なところから声が出てしまった。

『いえ、好きでも嫌いでもありませんが、』

今は酵母に恋をしている。
生地を膨らませてくれる酵母に1日中振り回されたり、まだ起こしたことがない酵母に浮気をしたくなったり、結局いつも僕の期待に応えてくれる酵母に絶大な信頼と尊敬を含む恋心を寄せるのだ。
彼女達は僕がどうにかしないと直ぐに機嫌を悪くするから、生身の人間に使っている時間はほぼないと言っていい。

『変なこと聞いてごめんね。』

『あなたは男の人が好きなんですか、』

『うん、いや、どちらかというとチャンミンが好き。』

『、』

あまりにも真剣な目で答えるから、引き出しの少ない僕は黙るしかなかった。

『それでもまた、来てもいい?』

『それはどういう、』

『チャンミンのことが好きだから、毎日来てる。』

『、』

『だから明日も買いに来る。』

『食べにですよね、』

『あはは、うん。』

『あ、はい、お待ちしてます。』

『うん。』

彼が男の人が好きでも女の人が好きでも、買いに来てくれるなら迎えるまでである。
食べていきたいと言うなら、いつものようにもてなすまで。
僕の焼いたパンが、彼の毎日の何かになっているのなら、僕はそれを受け止めるだけだ。

パンを焼いていて、焼いている人間を好ましく思ってくれるなら、職人冥利に尽きるではないか。

『あの日のパンが、…チャンミンのバゲットがまた食べたいんだ。』

あの日。
僕のバゲット。

食べたい。
食べていたいではなく、食べたいと言うのか。

では、彼が毎朝食べているバゲットはなんだろう。

あの日とは、いつのことを指しているのだろう。
僕が2代目を受け継いだ当時から、味が変わってしまったことがあっただろうか。
とにかくこの日は、不思議なことを言う日だった。


『じゃあ、また明日来る。』

『はい、お気をつけて。』

別なお客様の入店と入れ違いになるようにスーツ姿の背中が出ていった。
彼は僕と同じくらい背が高い。
街を歩いていたらさぞ目立つだろう。

『へんなひと。』

見えなくなってしまった背中に呟いてみる。


バゲットやブールを焼く時間帯は、小麦の香りで店内が溢れる。
焼けた小麦の匂いはとても香ばしい。
バターや甘味になるようなものは使わないから、からっとした香りなのだ。
開店前にそれらを焼くため、お客様が来ない時間の香りが1番好きだったりする。
何よりその匂いが、祖父母を思い出させるから愛おしく思えるのだ。

さて、あの人が言っていたバゲットはどんな香りでどんな味かな。

気が向いたら、尋ねてみてもいいかもしれない。

ほら、僕にも思い出したいことはあるし、これからの何かのヒントになることがあったりなかったりするかもしれないから。


作業の合間に、バゲットを温めてバターを落とす。
かじりながらコーヒーを飲む。
バターを落とすと、溶けたバターに生地が反応するようにみずみずしくなる。
食べやすくなるともいうのかな。
いや、潤うんだ。
不思議だよね。
祖父母が完成させたバゲットとは、そういうものだった。

これを毎朝あの彼も食べているわけだけれど、飽きずにバゲットを食べてくれるのだから気に入ってくれているのだろう。
それは素直に嬉しく思う。

この日は1日、様々な瞬間に彼を思い出す日だった。

彼が変なことを言うから。

酵母に恋してるからごめんなさいと言ったら、変人だとしか思われないだろうから言えないけれど。

『ふふ、』

それでも悪い気分じゃないのだから、やはりあの人は悪い人ではないだろう。



この時は、こんな僕のなかに、物語が動いているのだなんて思ってもいなかったのだった。












続く。

試食的なお話でした🍞
いかがでしたでしょうか。
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