本社の王様が動いた。
息子である王子の話に耳を傾け、意見を取り上げたようだ。
驚異的で脅威的なネット社会の昨今に早く手を打つことにしたようだ。
王様は俺とプリンスのチャンミンにコマーシャル撮影をさせることになり、王様本人も業界に注意喚起を促したらしい。
まあでも、これが同業者の嫌がらせっていうパターンもあるわけだ。
なんとなくだけど、俺はそうなんじゃないかって思っている。
おそらくチャンミンもね。
結局事件になってないから、警察とかメディアは動かない。
だから噂を流して風評被害でダメージを与える。
そういうことなんじゃないかなって、思うんだよね。
やるせないよね。
犯人を捕まえるつもりは俺とチャンミンにはないけどさ、どんな場合でも卑怯なことは許せない。
そんなふうに、俺達が築いてきたものを壊されたくない。
壊されそうになっている今、俺達が出来ることは、お客様や仲間たちと築いてきたきたものを強くするだけ。
嘘はつかない。
正直に俺達の仕事を見せるだけだ。
『全部で15件、ヤバいね。』
あれから介護食のデリバリーの契約を解除された件数だ。
バッチリ化粧をした元気娘が唇を突き出して不機嫌な顔をしている。
15件分の月額の定額料金がなくなるのはとても痛い。
プリンスの表情も暗い時が多いんだよね。
それが俺は悲しくて、せつない。
『結局サギられたお客さんていないんでしょ?』
『いません。』
チャンミンの即答。
『戻って来てくれるといいね。』
何かが解決するような状況ではないのだろうが、そうなればいいと思う。
本当に。
誤解だったって気付いて貰えればいいと思う。
夕方の配達が終わり、この日朝番だった俺とポッキー君が上がる時間。
夜勤の当番のチャンミンは珍しく顎周りに吹き出物をこさえていた。
あれはストレスだな。
栄養はとっている。
でも思うことがありすぎて、心の澱みが吹き出物になって出てきている。
コマーシャルの撮影までに治さないといけないな。
吹き出物王子なんて可哀想すぎる。
『じゃあねーお先に!』
『お疲れさーん!』
退勤時間になった元気娘を見送り、夕方の事務処理をチャンミンとふたりで片付ける。
俺は伝票整理をさくっと終わらせ積み込みの作業を手伝ってくるつもりだ。
チャンミンは食品デリバリーの数字を見ているようだった。
ぼんやりとしていて、手はひとつも動いていない。
『チャンミン、』
『あ、はい、』
振り向く顔の吹き出物にまた目がいく。
いけないな。
年季の入ったソファに座り、プリンスを手招きして呼ぶ。
長い足を動かして、不思議そうな顔をしているけれど素直に応じる。
隣に座らせて顔をぐっと覗き込む。
『な、なんですか、』
『いやぁ、顔に可愛いものが出来てるなって、』
『え?』
顎をとって、出来てしまったその可愛いものにキスをする。
『、』
なんでそこなの?って反応を感じる。
人間ていうものは、昔から体の中の悪いものは吸って出してやろうとしていたからネ。
知らんけど。
『疲れた顔してるよ、ニキビになってる。』
『、…、』
何かを言いかけて、黙り込む。
だから今度は、言ってくれない唇にキスをした。
吸って、吸って、吸って、こいつの中にある澱みを全部取り込んでやる。
事務室の鍵はかけていない。
誰かが来るかもしれない。
でも、今はちょっと荒療治が必要なんだ。
『こんな状態で、夜勤とか任せられない。』
『…、』
まだ唇を舐める。
困った目が少しだけ潤んでいるのが見えた。
でもまだ止めてあげない。
唇も可愛いニキビもふやけるまで吸ってやる。
『、』
解放してやると、本当に悪いものを吸ってしまったらしく、吹き出物の赤く生々しい痕が出来てしまった。
でも、ごめんて言わないよ。
『…、元気出すって、難しいことだと思う。でも、ニキビ出来ちゃうほど悪いことが増えた?』
『…、本当に、噂だけなのかなって、』
『デリバリーの?』
チャンミンは頷いた。
やっぱりその件のことか。
『本当はもっと別な理由があるんじゃないかとか、考えちゃって。』
『どんな?』
『サービスそのものが悪いんじゃないかとか、味とか、対応、そもそもの考え方とか、そこまで考えちゃって、』
『それは、考えすぎ。考え直すことはいい事だけど、今のそれは考えすぎ。』
頭を撫でる。
気休めだ。
また伸びてきた髪は、プリンスカットそのもの。
善き。
俺は髪の毛長めのチャンミンが好みだ。
いやまあ、さっぱりとしてるとそれはそれで可愛いけどさ。
『こういうことを払拭するために、コマーシャルとかなんだって手を打ってるところでしょ、焦っちゃダメだって。』
『…、はい、』
そうは言っても、綺麗に解決しないと気休めが気休めにならないんだよね。
どうしたものかな。
するとドアがノックされる。
ちなみに元気娘はノックしない。
チャンミンは顔を手のひらで拭うようにして表情を引き締めた。
『どうぞ、』
プリンスが声かけると、窓口対応のスタッフの奥様が顔を出した。
『あの、ユンホさんにお客様です。お通ししてもいいでしょうか?』
『俺?はい、お願いします、』
チャンミンと顔を見合わせる。
誰だろう。
『こんにちは、』
もう日が暮れる時間だけど。
でも、聞いたことある声だった。
入ってきたのは、あの男だった。
『ああ、全然変わらないね。』
『戻って来たんですか!』
あの男。
この街を去った、校閲の仕事をしていた男。
チャンミンにそれを教えると、やっと笑顔が戻った。
ナイスタイミング、校閲男。
しかし、あの頃よりもこざっぱりとした姿をしていた。
髭もなく、髪は短く切られ、シワのない服を着ている。
『うん、またこっちで少し仕事をしようかと思って。』
チャンミンは狭い給湯室に向かってお茶を入れてくれた。
ソファに掛けてもらい、チャンミンがお茶を出してくれる。
「素敵な奥さんだね」とか言って、チャンミンの顔を赤くさせる。
いいぞ、いいぞ校閲男。
もっと言っていいんだぞ。
『あのさぁ、なんか変な噂聞いたんだけど、詐欺がなんとかって。』
『ああ、それは、』
『まあ、誰かが流したデマって言うのはわかるけど。』
『そうなんです。』
チャンミンは俺の隣に座って、何度も頷いていた。
『で、俺さあ、その介護食契約しようと思うんだけど。』
『え?』
俺とチャンミンは素っ頓狂な声をハモらせた。
介護食を摂るような年齢では無い。
味だって介護食にしては美味しい方だが、やはり薄味で量も多くはない。
『相変わらず食べたり食べなかったりだし、外に出ないし、誰とも話さない。』
生活スタイルは変わっていないということか。
『だからなんでもいいわけ、食べるって。』
なんでもよくはない。
まだ介護食には早すぎると言いたいけれど、一応お客様だから否定する言葉はかけられない。
『そういう食べ物だから間違った栄養では無いはずだし、毎日持ってきてもらうなら金だって払うし、あんたに運んで来てもらえれば多分無言で1日が終わるってなさそうだし。』
この男と話しているとじわじわと何かが迫ってくる感じがするんだ。
懐かしい。
そして新しい。
『俺みたいなので契約の口数増やしても、何かを拡散出来るとかそんなんじゃないけど。』
隣にいたチャンミンは、大きく首を横に振っている。
『まあ、ほら、俺みたいなのも世の中にはいるんだよってことで。』
ひょっこり現れた出戻り男は、うちのプリンスの特効薬になりそうだ。
『問題なければ今契約するけど、』
『あ、はい、』
チャンミンは立ち上がり、書類のトレイから申込用紙を持ってきた。
ボールペンと一緒に渡す。
『印鑑忘れた。』
『署名で結構です。振込方法の案内は郵送させていただきますから。』
そうそう、だから手集金はないからね。
隣にいるチャンミンの顔色がさっきとは全く違っていた。
頬の艶と目の力強さが戻ってきた気がする。
男は書類をチャンミンに渡し、チャンミンはそれに目を通して確認する。
『ありがとうございます、感謝致します。』
チャンミンは深々と頭を下げた。
『どうしいたしまして。お礼にまた、トラック触らせてね。』
チャンミンは不思議そうな顔をしていたけれど、俺は勿論即答したよ。
「いいよ」ってね。
それから校閲男は帰っていった。
新しい住所は俺の担当エリアだった。
まあ、俺が運ぶのではなく食品デリバリー部隊が行くんだけどさ。
でも担当エリアなら、生存確認をしにいくぐらいならいいよね。
『よかったじゃん、新規契約あったじゃん。』
『…、はい、』
武者震いというのだろうか。
チャンミンの唇が戦慄いている。
ほんと、よかったじゃん。
この街にまた誰かが戻ってくる。
そういうことって、いいことじゃん。
嬉しいじゃん。
『チャンミン、こうして巣立って行った街に戻ってくることって、事情はそれぞれだけど、あの人の場合少なからず「悪くはなかった」思い出があったからじゃん?』
『はい、』
チャンミンが見つめてくる視線を受け取る。
チャンミンが微笑む。
だから俺も嬉しくて緩む。
『そして戻ってきた時、あの人は俺達とまた関係を繋げることを選んでくれた。』
『はい、』
『それが俺達のしてきた仕事の成果だろう?』
『、はい。』
輝く笑顔のプリンスに戻る。
俺が嬉しくなる瞬間のひとつ。
『だから、俺達は真っ直ぐに仕事をすればいい。』
艶が戻った頬を捕まえる。
『やりたいことをきちんと考えて動けば、きっと間違ったことにはならないから。』
長い睫毛がよく動く。
瞬きをしては、目が潤む。
可愛い可愛い俺のプリンス、チャンミン。
『俺達はお客様に励まされて動かされる。』
叱られても動くけれど。
『だから俺達も、お客様の心を動かすことができる働きをするんだ。』
俺達の働きや言葉が、その人の心に届くまでに時間がかかっても、今日みたいにどこかで繋がって実を結ぶこともあるのだから。
俺はそんな自分達の仕事を信じたい。
『その大きな気持ちを忘れないでやっていけているんだから、誤解だっていつかきちんと解けるはずだ。』
そうだろう?チャンミン。
『…、はい。』
大きく頷いて、背中に手を回して抱きついてくる。
俺もチャンミンの背中に腕を回して、力いっぱい抱きしめた。
それからキスをして、もうひとつして、3回ぐらいして、笑い合った。
今夜の王子は夜勤である。
一緒に届いた弁当を食べてから俺は帰宅をした。
チャンミンがいないベッドは広く感じる。
でも我慢。
明日は夜勤がない日だから、ちゃんとふたりでここで寝られる。
撮影の予定までもう少し。
ニキビ王子じゃ勿体ないから、俺は是非とも輝き度「ヒャクパー」な状態でいて欲しい。
ありがとう校閲男。
また夏祭りは誘ってあげよう。
続く(∵)お前かーい
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