彼の申し出により、僕達は書類上でもパートナーとなることになった。
生活する上で明らかに何かが変わったという自覚はない。
互いに扶養されるような収入でもなく、大きな病気にかかることもなかったから、それまでの僕達
と変わりないと言えば変わりない。
ただ、時折そんな関係になったことを改めて気付かされる瞬間はある。
彼の会社から届く書面にそういったものが含まれたり、それを読まされて不思議な気持ちになったりね。
子供が出来るわけでもないから、僕達の関係がこれよりも先にいくことはないんだろうなとは思った。
連れてきて貰えるところまで、連れてきて貰ったんだなって思ったの。
言い方を変えれば、これ以上の場所はもうない。
その辺の考え方が本当に卑屈だなとも思う。
僕自身のね。
僕はこれ以上何を望むというのだろう。
彼のあたたかい気遣いに、どうして卑屈にしかなれないのだろうと、未だに嫌いな自分と戦う毎日でもある。
そんなふうに過ごして季節がかわり、またこの季節がやってくる。
冬が来た。
「クリスマスプレゼントは、何が欲しい?」
毎年聞かれるけれど、毎年曖昧にして逃れてきた。
欲しいものはそんなに多くないから困る。
とても困る。
困っている。
強いて言えば、彼の愛情を素直に受け止められる僕自身が欲しいよ。
もうこれ以上、余計なことを考えて歪んでいく自分が見たくないんだ。

夫婦と呼ばれるのはとても擽ったいかもしれない。
まだパートナーと呼ばれる方が自分が耐えられる気がするんだ。
両親や祖母も、僕と彼のことを何かに例えるようなことはしない。
例えば、夫婦、恋人…。
そんなふうに呼んだりはしない。
それでいいし、それがいいと思っている。
やはりごく普通のあの家族からしてみれば、僕という存在は、家族間のイレギュラーな歩みには変わりないだろうからね。
パートナーになって、表面上の何かが変わったわけでもなく、毎日の何かが変わったわけでもない。
今も僕はサンドイッチを作り、彼の食事を作り、彼の部屋で眠ったり、実家で眠ったりもする。
仕事があるからね。
それでも週の半分以上は彼の部屋で寝泊まりをして過ごしている。
夜のうちに彼の朝食を用意して、早朝に抜け出し、実家の台所で仕事をする。
そんな毎日を、僕は噛み締めながら過ごしていった。
こんなにも穏やかで、あたたかくて、幸せな日々を過ごせるとは思っていなかったから。
知らなかったから。
誰かと寄り添いながら生きるということを、僕は知らなかった。
全てを教えてくれたのは、ユンホだった。
ずっと続けばいいのに。
今度こそ静かにしているから。
大人しくしているから。
黙っているから。
自分から壊すようなことも、誰かに壊されるようなこともしたくない。
だから、プレゼントなんて要らない。
僕は、今のこの幸せがずっとずっと続くのであれば、何も要らない。
祈るように、願うように、僕はクリスマスという日に向かって過ごしていた。
じゃがいもを蒸す。
それから皮を剥いてマッシュする。
解した明太子とマヨネーズを和える。
温めたホットサンドメーカーに食パンを乗せ、ポテトサラダとチーズを乗せ、サンドして焼く。
クラムチャウダーを作った。
玉ねぎをたくさん入れたからとても甘い。
デザートはリンゴ。
ビタミンは必要だよね。
土曜日の朝食。
寝室で物音がした。
ドアが開く。
寝癖がついた彼が出てくる。
スウェットに手を突っ込んで、お腹を掻きながら。
『おはようございます。』
『オハヨ、』
今日はふたりで出かける予定だった。
そうでなければ僕は彼を朝と呼ばれる時間には起こさない。
僕が調理器具やお店で使うものを新調しに行くと言ったら、一緒に街中へ行くと言ってきたのだった。
洗面を終えて戻って来る頃に、温め直したクラムチャウダーを取り分け、ホットサンドをカットする。
溶けたチーズがよく伸びる。
彼はリンゴを手で掴み、ひと口齧った。
水を飲み、またリンゴを齧り、黙ったまま口を動かす。
テレビをつけて、ニュースを流す。
まだ眠たそうな目で天気予報だけ見ると、今度は牛乳に手を伸ばした。
こういう時に、ふと思うんだよね。
なんだ、普通に食べてるじゃん。
なんてね。
僕といる時は、本当に本当に本当になんでもよく食べる。
当たり前に食べられる感覚を少しずつ取り戻しているのかもしれない。
遠い昔に与えられてしまった心の傷が、ようやく蓋をしてくれたのだろうか。
ホットサンドを乗せた皿を彼の前に出す。
視線が降りて、手が伸びる。
三角形になったそれを見つめ、中身が何なのかを探っているようだ。
その目もまだ少し夢の中にいるようで、言ったら怒るから言わないけれど、とても可愛いと思える。
『いただきます。』
僕もそう言って朝食をとる事にした。
『いただきます。』
彼も続いて手を合わせると、三角形の底辺の部分からガブリと噛み付いた。
両脇からチーズとポテトサラダが飛び出す。
いつも思う。
いつも同じ食べ方をして同じこぼし方をする。
『あ、』
同じように声を出して皿の上に零れた具を見るのだ。
いつもいつも同じタイミングで。
それがなんとも可愛い生き物に見えて、僕はたまらなく愛おしくなる。
やっぱり言うと怒るだろうから、言わないけどね。
『ん?明太子?』
『そうです。』
『やっと目が覚めた。』
『ふふ、』
『なんか、やっぱ、チャンミンが作ってくれたものが、俺は世界一美味いものだと思う。』
『大袈裟です。』
『大袈裟なんかじゃない。俺には、どこの何よりも、チャンミンの作ったものが、1番なんだ。』
瞼もまだ少し重たそうなのに。
無理しなくていいのに。
黙って食べていたってなんの不思議もないのだから。
やっぱり毎日どこかで僕に対して気を使ってくれているところがあるんだと思うんだ。
もしかしてこの人は、そんなことをずっと考えているんじゃないかとか、時々不安になるよ。
僕に対して安心させようとか、喜ばせようとか、そういうことに一生懸命な人だから。
彼がしてくれることと、僕が出来ることの差は大きい。
ううん、してもらったことと、僕がしてあげられることの時点で既に大きな差が出来てしまっている。
そう、何より、僕を受け止めてくれたという事実と、僕がささやかなことの連鎖という差がね。
『今日は何を買うの?』
『はい、蒸し器を買おうかと思って。実家で使っているものが古くて、持ち手が取れて不便になったから。』
『肉まん。』
『え?』
『蒸し器って言われると、肉まんを思い出すなって。むかーし、母さんがおやつに蒸してくれたのは覚えてる。』
『…、ふふ、じゃあ、明日…そうですね、作りましょうか。』
『は?』
『え?』
『肉まんて作れんの?売ってるやつじゃなくて?』
『え?』
『え?』
『作れますよ、少し時間がかかりますけど。』
『……あれを作るとか、想像がつかない。』
『ああ、そういうことですか。じゃあ明日、良かったら。』
『チャンミン、すげー。』
寝癖がついた頭で子供みたいな笑顔を向けられると、僕は胸を掻きむしりたいくらい悶えたくなった。
なんて可愛い人なんだろう。
このマンションのベランダから飛び出してしまいたくなるくらい、可愛かった。
もちろんしないけれど。
そうか。
彼にも思い出の食べ物はあるんだ。
子供の頃は好きなように食べていられたんだものね。
今だって実家の料理は食べられるみたいだし。
彼のそういった話は、料理人としての僕も大いに刺激されるようだ。
朝食を済ますと、彼はシャワーを浴びたりして、小一時間経ってから出発になった。
蒸かし器はこの時期よく使う。
根菜や、旬のブロッコリーやカリフラワーなどを蒸す。
それから、じゃがいもやかぼちゃもね。
茹でるよりも栄養を保てるから。
着替えた彼の姿を見ると、偶然なのかなんなのか、ふたりして全身黒のコーディネートになっていた。
同じようなコートを着て、同じようなパンツを履いている。
『双子みたい。』
彼はそう言って笑って、僕の手を取って車に乗せたのだった。
車で1時間程すると、様々な店が並ぶ街に出る。
彼の会社や僕の店がある反対の方向にあたる。
普段はあまり来ないのだが、専門的な道具を新調したりする時は自分の足で訪れる。
まさか彼も一緒に来るとは思わなかったけれど。
コインパーキングに車を停めて、店に向かうと、店内を珍しそうに見て歩く長身の彼がとても異彩だった。
気になった調理器具ひとつひとつを「これ何?」と聞いてくる姿は、小学生のようでまた可愛いものだった。
蒸し器も何種類かあり、実家の台所で使うにちょうど良いサイズを比べてから買うものを選んだ。
他にも気になるものはあったのだが、無駄な買い物をしたくないが為に、他は全保留にしようと思う。
そんなわけで、ひとりで生きていると、僕はあまり支出を出さない人間かもしれないと最近思うのだった。
ユンホは肉を叩くための棒状の器具を気に入り、軽く振ったり独り言をしていた。
店を出てからもあれやこれやと調理器具の使い方を聞かれ続けることになった。
まあ、それはそれで楽しく付き合ってくれたのかなと思ってよしとしよう。
そう思うと、彼は人との付き合い方が上手なのかもしれない。
人付き合いで発生しがちな、食事というものでつまづいていたから、彼は人付き合いで悩んでいた。
そんな面でも、彼本来のいいところを潰してしまっていたと思うと、人生のどれ程を切なく過ごして来たのかな。
そして行き着くところが僕だったとなると、やはり申し訳なくなるような気持ちになるのだった。
ねえ、女性と何事もなくお付き合いが出来ていたら、素敵な家庭を作って、子供もいて、部下や上司とも上手く仕事をしていたんだろうな。
もっともっと輝いた人生を送れていたかもしれない。
彼のいいところを、僕が取ってしまったような罪悪感が胸に湧く。
本当は、僕と出会うべきではなかったのではないか。
遠い昔にトラウマさえ植え付けられなければ、彼は昼に僕の作るサンドイッチを食べる必要もなかった。
僕と出会うことのない人生を歩んでいたかもしれなかった。
食べたいものを食べることが出来なくなった挙句、人生のパートナーも同性しか出来なくなってしまった。
本当は、もっと自由に人と付き合えていたはず。
彼の本当の望みは、僕に言わないだけで、もっともっと「まとも」なものがあったんじゃないだろうか。
パートナーとは、なんだろう。
『チャンミンっ、』
『、』
呼ばれて気づく。
蒸し器を抱えていた腕を掴まれて、立ち止まる。
すると目の前に消火栓があってぶつかるところだった。
『暗い顔してるから、ぶつかりそうになるんだよ。』
『え?』
暗い顔。
そうか、またネガティブなことを考えてしまっていたからか。
ひさしぶりにそんな自分を感じた気もする。
クリスマスだというのに、僕はなんてことを考えてしまっていたのだろう。
『ごめんなさい、お鍋も抱えてたから、尚更見えなかった。』
言い訳みたいなことを言うと、その蒸し器が入った袋を奪われた。
車にその荷物を乗せると、車を置いたまま別な店へ買い物に行く。
と、言っても、僕の買い物は終わってしまっている。
彼が何を欲しいのかわからないけれど、行きたい店がこの近くにあるようだ。
彼が先に歩き、後をついて行く。
彼はまだ楽しそうに調理器具について僕に聞いてきたり話したりしている。
昔の肉屋が大きな塊肉を裁く時に、身につけていた鎖帷子(くさりかたびら)のエプロンを見つけたようで、着てみたかったとしきりに話していた。
僕の付き合いでなければ、あんな店にも入ることがなかった人生だったかもしれない。
こんな時期にパートナーと行くのなら、もっと華やかで楽しい場所がたくさんあるだろう。
こんなはずでは、なかったのではないか。
彼に対していつの間にか、そんなふうに疑ってしまっている僕がいた。
『あった、』
彼の声がしたかと思うと、ある場所で足を止めた。
『、』
店を見る。
外国人女優が首に何カラットあるのかわからない程大きな宝石のネックレスをした広告が、窓一面に張り出されていた。
宝石店。
しかもブライダル関係のものだ。
何故こんなところに。
『まだだったなって思って、』
『え?』
『指輪。婚約も結婚も、どっちの指輪もまだあげてなかったなって、思って。』
『、』
『クリスマス、いい機会だから。俺からプレゼントしたくて。でもサイズとか知らないから、来てもらうしかなくて。』
『…、』
男ふたりで、こんな店に入るというのか。
店の中には女性の店員しかいないようだ。
客だって男女の組み合わせしかいない。
そんな中で僕達が入って行ったら、どんな目で見られるかわからない。
『チャンミン、』
『ユノ…、』
欲しくない。
物珍しい目や批難の目を向けられたりなんかしたら、僕は耐えられないだろう。
積極的に動いてくれる彼が目立つに決まっている。
そんな目で見られる彼の姿なんて、見たくない。
『ごめんなさい、』
『どうした、』
『ここには、行けない。』
『なんで、』
『ごめんなさい、』
足が竦む。
でも、ここにも居たくはない。
暑い。
寒い。
気持ちが悪い。
『ごめんなさいっ、』
吐きそうだった。
足が勝手に後ずさる。
『チャンミン、わかった、帰ろう。』
彼は僕の手を取り、抱き寄せた。
彼の肩にぶつかり、跳ね返ってきたのは僕の荒い呼吸だった。
浅く短く、荒くなった呼吸をしていた。
『顔色が悪い。』
浅い呼吸を続けながら彼に連れられるまま足を動かした。
貧血にも似た、足元が軽くなりすぎる感覚があった。
車に着くと僕を助手席に乗せ、彼は一度車の外のどこかに行ったようだった。
嗅ぎなれた彼の車の匂いに、ようやく呼吸も落ち着いてきた。
頭の中が鮮やかになり、さっきまでの自分の姿が蘇ってくる。
縁がないと思っていた。
あるはずがないと思っていた。
ブライダル関係の店やイベント、商品に触れることなんてまずないんだと思っていた。
僕自身も、きっと彼との関係が始まった後の僕の家族も。
近付かないから、こんな自分を晒すこともなかった。
こんな自分は初めて見た。
初めて知った。
そしてきっと、彼を傷付けた。
どうして、このまま静かな幸せを続けようと願うと、こうなるのだろう。
なんで。
どうして。
また頭の中が冷たくなるようだった。
彼になんて謝ればいいのだろう。
彼の優しさもプライドも、僕が傷つけてしまったに違いない。
不甲斐ない。
情けない。
僕は
『馬鹿だ…、』
どうしたいのだろう。
ふと運転席が開く音がして、ユンホの体が中へ滑り込んできた。
『どっちがいい?冷たいのと、あったかいの。』
『、』
差し出された缶の飲み物を通り越して、僕の視線は指に向かっていた。
綺麗な指だと思った。
そしてこの指には、「きちんとした女性」と結ばれた時にする指輪が在るべきだったのかと思った。
『、』
『…、汗かいてる、顔色が悪い。』
目も泳いでいただろう。
缶を受け取れないまま、僕は俯くことしか出来なかった。
『冷たいの飲んで、それから温まりな。』
缶のプルトップが開く音がして、手に缶の冷たいお茶が握らされる。
本当に、優しい人だ。
喉は閉じたままだ。
でも僕は飲んだ。
流し込む。
何かしらは声にしなくちゃいけない。
冷や汗で失った水分を取り戻すように、体中に染み込んでいく。
喉を鳴らし、すぐに飲み干してしまった。
彼の心配そうな視線を感じる。
『…、ごめんなさい。』
『具合が悪そうだ。朝から少し、変だとは思ってた。』
『え?』
『前みたいに、暗い顔をする瞬間があったから。』
『、』
缶を握る僕の手に、彼の手が添えられる。
その時初めて、自分の手が震えていることに気がついたのだった。
『また、チャンミンの傷、開くようなことしちゃったな。本当にごめん。』
『、』
違う。
そうじゃない。
傷つけたのは、僕の方だ。
そもそも僕に傷などない。
傷つかないように生きてきたんだから。
それに徹して、生きてきたんだから。
誰かに傷つけられたことなんてないんだ。
全て自分の妄想が作り出した、「現実という名の想像」から逃げるために生きてきたんだ。
『ユンホ…、』
やっと出た声は、彼の名前を呼ぶものだった。
空になった缶を取り上げられ、代わりに蓋が空いていないままの温かい缶を握らされた。
指先から伝わる温かさは、彼の心遣いそのものに感じられた。
涙が出そうだった。
『僕は、あなたのパートナーになるべき人では、なかったのかもしれない。』
どうしていつも、極端なところしか言葉にできないのだろう。
肝心な時に限って、こうなるのだろう。
涙が出ていた。
彼の手に、僕の目から出てしまった涙が落ちていた。
どうしてこういう時に、家族の顔が思い浮かぶのだろう。
お父さん。
お母さん。
おばあちゃん。
僕は、大切な人を、困らせるだけの人にしか、今は思えないみたい。
『帰ろう。』
彼が言った。
シートベルトをする前に、僕の体を抱き締めた。
頭を撫でてくれた。
キスをくれた。
『愛してる。』
そう言ってくれた。
『帰ろう、ふたりで。』
そう言ってくれた。
微笑んでくれた。
だから僕は、また泣いてしまったんだ。
後編に続く。

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