前記事の続きです。
人は時に、
本当に苦しい時、
心から渇望する何かがある時、
助けを求めたい時、
それを一番身近な家族に言えない時がある。
繋がりが薄いわけではなく、
むしろ愛情が強いゆえに
心配だけはかけまい、
この惨めだけは知られたくないと思い、
自分の苦しさを吐露する事なく、
「自分の事は大丈夫。
元気でやっているんだよ。」
としか言えない時がある。
特養で知り会ったCさんは
そんな一人ではなかっただろうか…。
母の面会に施設に行って、
Cさんとお姿をおみかけする度に
私はよくお話をした。
初めてCさんとお話する以前は、
ほとんど人と接触をなさらない方で、
その存在にも気づかないほどだったけれど、
初めて会話が出来たその日をきっかけに
私はCさんにとって、
会話をしたいと思える、
数少ない相手になれたのだと思う。
Cさんのお話はいつも決まって
同じ話の繰り返しでしたが、
目をみつめ、うなずきながら
楽しくその話を聞いてる私に、
ますますCさんは饒舌になって、
話が尽きる事がなかった。
時には軍人でいらしたお父様のお話や
家に入られた泥棒をやっつけた話など、
愉快な話が出る時もありました。
私が伺う時間は
昼食後の日中の時間帯の日もあったけれど、
夕食時に伺う事が殆どでした。
夕食を母がとった後にすぐに
母が帰宅願望のために荷造りしていた荷物を
部屋に入って戻す必要があった事もそうですが、
母のパジャマの着替えと洗面をし、
介護士さんの負担を少しでも手助けする、
そんな意味合いもあったのです。
施設の夕食は17時過ぎから
リビングに利用者がじょじょに集まり、
遅ければ18時前、
早い時は17時30分頃から配膳され、
約1時間をかけての食事タイムでした。
そうして18時30分頃から、
介護士2人が配膳を片付けはじめ、
同時に利用者を順に
就寝のための介助を開始されていました。
ある夕食時、Cさんはこの日とても上機嫌で
私の母をはさみ、
私ともう一人の利用者さんと
会話をはずませていた時の事です。
やせ型の女性介護士がCさんに向かって
突然、大きな声を出した。
「Cさん、お話するのはいいけどね、
話ばっかり夢中になってないで、
しっかり食事を食べてちょうだい!」と。
その声は低くトゲトゲしさ満載で、
優しさのかけらもない口調。
私は一瞬で固まってしまいました。
するとCさん、すぐに笑顔で小声で返した。
「あぁ~、もうおなかいっぱいだわ~。
もう下げてもらっていい?
お昼しっかり食べたから。
ごちそうさまでした。」と。
テーブルには、食事をとってる方は
まだ、たくさんいた。
そんななか、
Cさんは私と話をしていたもう一人の利用者に
迷惑がかからないよう、箸を止めたのです。
その瞬時の切り替えしに、
Cさんはなんて賢い人なんだろう
と私は感心しきりでした。
場を壊さない様に笑顔で返せる根性がある。
と同時に、このやせ型女性介護士が、
こんな声色で
Cさんだけに叱責する必要があるのだろうかと思った。
静かな口調で
「Cさん、お箸、進んでないけど、
食べなくていいの?」と
やんわり、食を促せばいいだけの事。
言葉を選ぶ教養もそうだけど、
そこに愛はあるのかと聞きたい。
恐らく介護士は、
さっさと食べてもらいたい。
なぜってこれから自分の担当する、
10名の利用者を、
順に、洗面・パジャマに
着替えさせなければならないから。
当然といえば当然。
だけども、食事の時の会話はいけないの?
楽しい食事風景は
あなたにとって不快ですか?
介護士は18時半から配膳を下げ、
一人一人個室に連れて行っても
1人10分はかかるわけで、
だとしたら、
皆の就寝準備が終わるまで
少なくても1時間はかかる。
さらに言えば、
ショートの利用者の1/3の人は
要支援の人で、
「自分で洗面してちょうだいね~!」で
済ませているのではないですか?
そして介護が必要な方も、
自分の順番が来るまで、
この席で待ってないといけないわけで、
今すぐCさんを個室に連れていかなくても
いいわけですし、
実際にまだお箸を進めている人は何人もいた。
『団らんの時間など、不要なだけ。
自分は早く仕事、終わらせたいのよ。
しゃべるな、食べろ!
はよ済ませろ!』
って事ですかね。
この事があってから、
私も皆さんのお食事の邪魔をしない様、
Cさんが介護士につらく当たられない様、
面会は食事が終わるギリギリの時間を
見計らって伺う事にしました。
そしてこれは、Cさんにおける
処遇のほんの序盤であって、
Cさんが受けていた待遇のひどさを
ある時、打ち明けられるのでした。
長くなるので、
続編とさせていただきます。
今日もつたない私のブログを読んで頂き、
ありがとうございます。