私が見た介護現場②ー入院先病棟 | あなたに,も一度恋をする

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私が見た介護現場②ー入院先病棟

 

この記事は、前記事の続きではなく、母が第3腰椎椎体骨折で入院させてもらった時期に戻り、書き始めています。

 

病院に入院させてもらえると知った時は、苦し過ぎた介護の縛りから、ようやく私の身体と心が開放されたと思えた瞬間でした。

 

すぐに手続きを致しましょうと言われ、母が入院する階へ案内されました。

 

そこで待機して下さっていた相談員の方から、

 

「この病院は急性期病院と違って.すぐに退院を促す事はしませんので、2ヶ月じっくり入院してリハビリを行って治していきましょう。」と言われた時、さらに心がほっと落ち着いた事を思い出します。

 

その2ヶ月の入院期間中(当時はコロナ渦前)、私はほぼ毎日、病院の面会に通いました。

それは外科部長の先生から、「長期入院すると、ほとんどの高齢者の方は認知症が急激に悪化します。それだけは覚悟して下さい。」と予告されていたからです。

 

実際に入院出来た初日、

あれほど自分から入院したいと言っていた母が、帰る私の背中を見て、

「親を見捨てていくんか!」

と、今まで聞いたこともないような大きな罵倒で

背後から叫んでいました。

振り返ると、母は鬼のような形相。

そんな母の顔を見たのは初めてでした。

その母を、体格のよい男性看護師さんが、母の車椅子をひきながら、にっこり笑って

「大丈夫ですよ~。また来てくれますからね~。」と母をなだめてくれていました。

それを見て、ここにまかせれば大丈夫だ・・・とほんの少し、心強くなった事を思い出します。

 

私は母の認知症が悪化しないよう、毎日の面会に行きました。

自分の顔を見せて安心してもらう事、

病院食で体重が減らないように、食べやすいおやつを差し入れをする事、

そして病院スタッフの方に、極力ご苦労をかけないように、できる事をしようと努める事にしました。

 

この画像は入院2週間を過ぎたあたりだったと思います。

母の入院病室は4人部屋。

歩く事がままならないため、トイレが出口横にある部屋にしてくださり、母はその出口に1番近いてベッドにして下さっていました。

 

面会に行き、母がトイレに行きたいと言った時は、何とか母を起こして介助出来たものの、戻ってからはベッドの上に仰向けにしてからは、痛みでこのように動けなくなります。

母の椎体骨折の痛みは、ハンパないのだと知りました。

 

 

この状態は家でも同じで、かつ動くたびに痛みに叫んでいましたし、ワンオペ介助はもう無理だと途方に暮れていたのも無理はなく、

もし、入院させてもらわなかったら、

どうなっていたのだろうと思います。

 

この病院の看護師さんは、母にだけでなく、皆さん一人一人の患者さんに

手厚い看護をされていました。

 

 

その光景は、その後使った特養やデイサービスにも見られない優しさがありました。

 

その他、たくさんのきめ細やかなルールが設けられ、手厚い介護がなされていました。

 

時折、洒落たジョークを飛ばされる楽しい看護師さんや介護士さん。

 

スタッフさんから聞こえてくる会話で、業務以外の私語を聞いた事がなく、いつも患者さんの誰々をこうすれば改善するんじゃないか…などをディスカッションしている、そんな医療現場でした。

 

こうした素晴らしい病院のスタッフさんにお世話頂いた2ヶ月。

母が一人で立ち上がった際には離床センサーが鳴り、その度に看護師さんがすぐに駆け付けてくださっているようでした。

この時の事を思い返すと、今でも感謝で涙がうるうるしてきます。

 

今ではコロナ渦となり、入院患者が家族と会えない状況となっていますね。

先日、ご近所の旦那様がお亡くなりになりました。

その旦那様は、長期入院されていましたが、コロナを理由に何ヶ月も奥様と面会できずに、最後の最後まで会えずに息を引き取られたそうです。

お別れが言えなかった、お顔を見ることなく、息を引き取られた…その空虚な悲しい別れ方は、奥様の心の中にどしんと重いおもりになっていらっしゃるようです。

今、何かしらの病気で入院されている方とご家族は、本当にお辛いですね。

 

母を毎日面会に行っていたこの時期の事をいくつかの記事にしていきたいと思っています。