日本を離れて30年近くになるので、いない間に変わった祝日がよくわかってませんが、4月29日は「昭和の日」らしいです。

昭和の人間かつ平成のほとんどはトルコで過ごしていたため、令和の今でも「4月29日=天皇誕生日」という認識のままでおりますが…

 

トルコでも「80年代や90年代はスマホやネットがなくてもひととのつながりがちゃんとあってよい時代だった」と言われますが、日本も平成・令和とITの進歩と比例してひととのつながりが希薄になり、自分も昭和の時代に二十数年生きてみて、よい時代を過ごしたんだなと、この年になって思うようになりました。

 

戦後20年過ぎて生まれたわたしですが、大人になって思うに、戦後10年で戦後復興を成し遂げ、そのまま高度経済成長期に突入ということが本当にキラキラすぎる。先人たちの努力に感謝ですお願い

 

わたしの昭和はテレビに始まりテレビで終わるに尽きるのですが(典型的テレビっ子)

 

幼少期から毎日テレビでピンポンパンロンパールームおはようこどもショー

 

昭和の終わりも昭和63年から昭和天皇のご容態(十二指腸ガン)が悪くなられ、毎日ニュースではご容態とともに「下血量〇〇㏄、輸血量〇〇㏄」と報道されるようになりました。

 

 

昭和64年1月6日。「花の女子大生」ともてはやされた時代に、女工哀史のようなクリスマス前からのケーキ製造工場でのバイトを終え、大学の同級生&バイト仲間のみっちゃんと、当時流行の「アメカジ」の聖地・大阪ミナミのアメリカ村に、これまた当時流行の「蛇皮のウェスタンブーツ」←コンサバな東京にはない!を求めるべく新幹線に乗り込みました。

 

わたしら東京のフツーの女子大生はCanCam派、お嬢様女子大生はJJ派でしたね。

 

こんなの東京にはなかったです。通販もないから行って買わないといけなかった。

 

夜遅くに着いたわたしたちは心斎橋近くに投宿、名前忘れちゃったけど法善寺横丁の有名なシューマイ屋でビール飲んでシュウマイ食べて、「明日はここ行こうねー!!」とか、「これゲットしよーねー!!」とかウキウキワクワク盛り上がって、その後バイトの疲れとお酒で爆睡…

 

その翌朝…

 

 

わたしたちは大阪で二日酔いで昭和の終わりを迎えたのでした…

 

天皇陛下の崩御で大阪観光どころじゃなくなってしまい、心斎橋ですらひとっこひとり、ドブネズミすらおらず、もちろん例外なしにどこも閉店。

わたしたちはホテルでテレビを見るしかすべがなく、予定を切り上げて帰京したのでした…