地震関連の情報はツイッターから拾うことが多いのですが、

ひとつ考えさせられた動画がありました。

 

「ハタイ県でがれきの下敷きになって命を落とした子どもたちを悼み

がれきに風船が括り付けられる」

 

 

ここは幼稚園だったそうで、ほとんどの子どもたちが犠牲になったようです。

 

これを見てあなたはどう思いましたか?

 

「子どもたちの魂が早く天国に行けるよう風船をつけたのかな」

「こんなにたくさんの子どもたちが犠牲になって可哀そう。冥福を祈ります」

 

おそらく多くのひとたちがそう思ったのではないでしょうか。

 

でもトルコ人は違います。

 

「たくさんの子どもたちが亡くなった事実をロマンティズムで脚色する必要はない。」

「悲嘆する母親の心の傷に塩を塗り付けて苦しみを増幅させるかのようだ」

「風船の代わりにそのがれきに、(倒壊した建物の)建築許可を出した当局の人間や不法建築を行った建設業者の写真を貼ってやればよかったのに。」

「風船は死んだ子どもに持たせるものでない、生きている子どもが持つものだ」

 

当事者と第三者の感覚?感情?の差とでもいうのでしょうか。

またバックグラウンドも文化も価値観も全然違う。

日本の常識が他所では非常識だったりする。

よかれと思ってしたことも、相手を深く傷つけてしまうことがある。

本当にとても難しい問題です。

 

そういうときは心を無にして、目の前のこと・自分のすべきことをただ淡々とやり続けるしかないのかなと思ってしまいます。

 

 

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