おはようございます。


本日も本日とてシンエヴァについて語ってまいります。今日の話題は





渚カヲルのキャラ変更による解釈のズレ


について語ってまいります。




「シンジに会う為産まれてきた少年」

「初めてシンジを好きだと言ったヒト」

「シンジが本気で心を開きかけた少年」




(TV版新世紀エヴァンゲリオンより引用)


コレが渚カヲルです。


急に現れたフィフス チルドレン で、何故かシンジに興味を示し、何か難しげな言葉を述べていた謎の少年は使徒だったと発覚。たった数話だけの出番ながら大きな印象を残したキャラでした。

(漫画版ではもっと色々なアプローチをかけてます)


私の感じた(まぁ多く人も感じてると思いますが)渚カヲルの印象は


「イケメンだがどこか不気味」

「シンジに対して異様な程尽くすキャラ」


だと思いました。


また、綾波レイにどこかビジュアルが似てるのも同じく人ならざるものを表しているのでしょう。


不気味なのは勿論使徒だったからですが、この2つ目


「シンジに対して異様な程尽くす・関心がある」


というキャラクター像はどこか気持ち悪ささえ感じるレベルでした。



普通、人間が誰かに何かを与える場合は絶対見返り(少なくとも感謝)を求めるはずなのです。


与え続けることが出来るのは聖人くらいではないですか?「優しい人」や「尽くす人」も、形は違えど見返りを求めているはずです。



愛、感謝、金、見返り…



何でもいいですが施すだけで何も求めないというのは(言い方はアレですが)異常なのです。



ですが、私はこの「異常」こそが「渚カヲルがヒトではない」ことの魅力だと感じていました。



渚カヲルはシンジを助ける時、見返りなど求めませんでした。


自分が死んでシンジを生かしたのも、彼のため(彼をみて人類を残すべきと考えた)


新劇場版〈破〉で「幸せにしてみせる」と言った時も、うわ〜やっぱシンジだけなんだ…と思うほど


シンジに対する愛情は異常だと感じていました

ですが、その異常さこそがカヲルをカヲルたらしめる大切な要素だと信じていました。





Character Promotion Reel 渚カヲル 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』絶賛上映中渚カヲル(CV:石田彰)月面で目覚め、ゼーレとも会話をする謎の少年。シンジのことを前から知っているようで、ネルフ本部に赴いたシンジの前に現われる。Music「Beautiful World (Da Capo Version)」 by Hikaru Utadahttps://utadahikaru.lnk.to/d...リンクm.youtube.com


(シン・エヴァンゲリオン劇場版:||の紹介動画より)

しかし、シンエヴァはこの私の定説を覆しました。

「君(シンジ)に尽くすことで、自分自身の幸せにしていた」

「カヲルくんも人間なんだね」

(意訳)

このセリフは私に大きな失望を与えました。


いいえ、綾波レイも渚カヲルも人ではありませんこれはハッキリ断言します。
魂が使徒(綾波レイはギリギリ人かもしれませんが)の時点で人間性があってはならないのです。


そもそも、もし使徒の魂を持つカヲルが人だったのだとしたら


今まで登場した使徒も魂だけ引っこ抜いて肉人形に入れれば人です。と言ってるのと同義だからです。

じゃあカヲルは良くて他の使徒はダメなのか?使徒はヒトを滅ぼそうとしたのは一種類の生命体以外の存在を許されておらず、人間が黒き月をエサに誘き寄せて撃退していた

という事実がある以上、カヲルだけ人間です

はどうしても受け入れられません。

そもそも渚カヲルの魅力はあの異常性であって、


純粋に碇シンジの幸せを願うのはヒトではない生命だから行える神聖なこと


だと考えていた私にとって本当に失望というか、

ガッカリを与えました。

シンエヴァがシンエヴァとして独立していれば


(まぁこれはシンエヴァの解釈(後付け設定)であってTV版は違うし…)


と割りきれますが皆様ご存知の通り

シンエヴァはTV版・旧劇場版の続編的要素を持っているからこそ、この考えは通用しません。


このシンジを幸せにすることで自らの幸せを願う渚カヲルを皆さんはどう感じましたか?



勿論カヲシン、シンカヲというジャンル属性があることは知っていますがその民ではない私からしてみると本当に要らない要素(解釈違い)だなぁと切に感じています。



では、次のブログ「マリという存在」について

でお会いしましょう。



シンエヴァについての論評はあと3回程で終わります。