子供の頃、夏休みは家族旅行をしていました。
海だったり、山だったり、湖だったり。
海水浴したり、潮干狩りしたり、ジンギスカンしたり、花火したり。
夏祭りに行ったり、盆踊りに行ったり、花火大会に行ったり。
映画に行ったり、プラネタリウムに行ったり。
遊覧船に乗ったり、ロープウェイに乗ったり。
家族だけだったり、いとこたちが一緒だったり、お友達が一緒だったり。
姉とお揃いのワンピース着たり、浴衣を着たり。
今は手元にないけれど、アルバムにもそんな写真が沢山貼られていたな。
それが当たり前だと思っていました。
違いますよね。
どんなに忙しくても、家族全員で過ごす時間を必ず作ってくれていたんだと思います。
また、愛されていた証拠を見つけちゃいました。
ずっと拗ねていた私にとって、愛されていた証拠は見つかっては困るもの・・・
だって、拗ねられなくなっちゃうから。
今年は、皆さんからの刺激がいっぱいで、浴衣が着たいなと思いながらも、着られない私をみつけました。
高校生くらいまで、毎年、母が浴衣を仕立ててくれていました。
これが、今年の浴衣と差し出されるだけで、選ばせてもらえなかったのです。
毎年、あんな色がいいとか、こんな柄がいいとか、言うのですが、あんたには似合わないと聞き入れてもらえず、母が見立てた浴衣が仕立てられる。
「どうせあんたにはいい物はわからないんだから、これでいいの!」と母は言う。
「もういい。着ないから・・・」私が応える。
本当に、着なかった。
それでも、翌年、また母の見立てで仕立てられる浴衣、着ない私。
袖を通さなかった、浴衣が何着もありました。
ここにも愛されていた証拠がありました。
本当は浴衣を着たかったなぁ。
自分で選んだ、好きな柄の浴衣が着たかったなぁ。
来年は、自分で見立てた浴衣を着てみよう。