甘えないと、決めてしまった | ふんわりふわふわ雲のように
「あなたは、甘え方がわからないだけじゃなく、甘えないと、決めてしまった」

ぢんさんのこの言葉を読んで、衝撃が走りました。
甘えないと、決めてしまった・・・
私が、決めてしまった・・・

「私は、甘えっ子だったのに、甘えさせてもらえなかった」とずっと思ってした。

でも、思い返してみると、甘えないと決めていました。

--4歳の頃の記憶--

母とお出かけの時、手をつなごうとしたら、思いっきり振り払われました。
「私、ベタベタされるの嫌いなの!子どもも嫌い!」そう言ったときの母の顔は冷ややかに見えました。
それでも、甘えたかった私は、母の服の腰の辺りをつかむようになりました。
少しでもくっついていたかった。
「変な子なんだよね。お洋服のすそをつかんで離さないの。もう、型崩れしちゃう。ほら、離しなさい!」母は友人に話しながら、私の手をふり払います。

もの心が付いたときには、子ども部屋の2段ベッドで寝かされていた。
「子どもの時間はもうおしまい。」と言われ、「おやすみなさい」ベッドに入る。
豆電球ひとつだけの暗い部屋。
「起きてる?」と上の段の姉に話しかけてみるけれど、聞こえるのは寝息だけ。
眠りにつくまでの長い長い時間を、お気に入りのバスタオルと親指を吸うことで紛らしていた。
どうしても、眠れないとき、そっと茶の間に行く、「もう、子どもの時間は終わったの!早く寝なさい!」ベッドにもぐりこんで、指をチューチュー吸って眠れない長い時間を過ごす。

私が甘えようとするとお母さんが怒る。
だから私は我慢するんだ。
だって、お母さんが怒ったらこわいんだもん。
また、外にだされて、玄関の鍵を閉められちゃう。

甘えないと決めたんですね。
4歳で・・・。

「男の子だと思ったから命が危ないと言われても、生んだのに、おちんちんどこに忘れてきたの?」
母は良くそう言っていた。

私は男の子じゃなきゃいけなかったんだ。

「お坊さんが養子に欲しいって言ってるの。お寺の子になる?」何度も母に聞かれました。
おじいちゃんが亡くなってから、お坊さんが毎月月参りに来ていました。
いつも私が幼稚園から帰るのを待っていました。
「おっ、帰って来たか。どうれ」と言って、私を抱き上げ、膝の上に座らせる。
頭をくしゃっと撫でつけくれる。
「この子は、目が澄んでいて、利発な子だ」褒めてくれる。
心地よかった。

「坊さん、この子がお気に入りだから、お茶何杯もお代わりして、いすわるんだよね・・・」
「もう、お寺にあげちゃおうかと思って・・・」
母が友達に話しているのを聞いてしまった・・・

「お寺は真っ暗で、幽霊が出るから怖いところ。トイレ行けないよ。」姉が脅かす。

お寺の子になることが、恐怖となった。
後に、お坊さんが遠縁の子を養子にするまで、恐怖だった。

4歳で甘えないと決めた。
お気に入りのバスタオルを持って机の下に隠れて指を吸う。
そうやって、甘えたい気持ちをじっと我慢していた。
でも、その指吸いも「赤ちゃんじゃないんだからやめなさい!はずかしいでしょう!」と叱られていた。
指に苦い薬やからしを塗られた。

「この子、幼稚園では指を吸わないんだって。まったく外面はいいんだよね。」母が言っていたのを覚えている。

幼稚園が好きだった。いや、幼稚園の先生が好きだった。
担任の先生は、休み時間、思う存分まとわりつかせてくれたのです。
手をつないだり、腕にしがみついたり、抱きしめてもらったり。
母が怒ることを、先生はさせてくれた。
だから、先生が大好きでした。
満たされていたから、指を吸う必要がなかったんだと思います。

甘えたら叱られる。
男の子に生まれなきゃいけなかった。
お寺の子にされる。

甘えたいけれど、甘えるのをやめた4歳の決意でした。

あれから45年、今やっと甘える練習をしている私です。
「大丈夫です」って言わない。
「助けて」っていう。


「どんな男性が好み?」と聞かれると、「私を甘えさせてくれる人」って答えてきました。
「でもね。私を甘えさせるってハードル高いよ!」
そんな風に、相手に求めてきたんだけれど、自分の中に原因があったんですね。

気付けた私は変われますね。
人に甘えて生きていこう♪