社会的な価値観や周囲に望まれる役割に振り回された「目標を立てる」はもう今は、だいぶ違ってきているんだなぁと感じます
少し前まで、自分が無意識ながら、母の望む肩書きの人になるよう頑張っていた経緯もあり、まだまだやっている人がいるだろうと思ったのと、
保育の研修での例があり、わかりやすかったのでシェアします
子どもは追いかけっこが大好きです
追いかけられるスリリングさや捕まえたい気持ち、色々な動機がその子なりにあって、追いかけっこを楽しみます
結果、体力がついたり、転び方を覚えたり子どもによってはもっとワクワクするシッポ取りや年齢によっては高鬼などの一定のルールのある遊びに発展していきます
その結果を保育の現場で目標にしてしまうと
「体力をつける為に追いかけっこをさせる」
となりがちです
「体力をつける為に」は大人の目的で、鬼ごっこをする子どもの動機とは全く関係がありません!
一気に子ども達のやる気が削がれ、嫌がるようになり、大人は子どもを外に出すのが大変になります
勿論その後の展開もありません
結果、走るのは面白くない、続かないという印象が残り、体験が乏しくなります
鬼ごっこをする事によって捕まらないように隠れるのが上手になる子や、都合良くルールを作って仕切るのが面白くなる子もいます
転んでばかりで泣いている子は転び方を学んでいるのかもしれません
それはその子自身もやってみないとわからない事であり、体験をすることでその子なりの成長、それは本人も思わなかった結果があり、それでいいのです。
でも最初からその結果を求めてやらせようとするのはナンセンス
何故なら全員がその結果になるとは限らないし、展開の可能性を摘むからです
まさにやってみないとわからな〜い
大人も一緒です
「お金持ちになる為に」「有名になる為に」という目標はなくていいのです。
子どもは素直にやらないだけですが、大人はそこに努力をしてしまうから苦しくなります
楽しいから、面白そうだからと、やっていることに目標がなくても続けると
結果「楽しそうだから教えて」となってお金が発生したり、一緒にやりたいと仲間が増えたり、何かを生んでいく
それは本人が思ってもいなかったことかもしれません
結果やりたくなかったんだとわかるとかでもそれもやらなくてはわからないことですよね
本当の目標は今はわからなくても面白さを追求した先にあります
だからこそ、今は今の「楽しい」をしていけばいいのです。
楽しいを追求したらもっと楽しくなるアイデアが生まれるかもしれません。
でも目的を設定したらそこに到達しなければいけなくなり、他の可能性が見えなくなり展開がありません
達成するまでの自分にダメ出しをして苦しくなり、やめてしまう事になりがちです
楽しいはずのものだったのが到達出来ないダメな自分というレッテルと貼る事になるのは悲し過ぎる
今、自分は何をしているのが楽しいのか。
挑戦して体験して自分の楽しいを見つけましょうよ
今の目標はなくていいじゃない⁉️
もしお金持ちになりたいなら、お金をたくさんあったら、何をしたいのか考えて
そしてそれを今、やり始めましょう
大人が楽しそうに生き生きと何かに取り組んでいる姿こそが、子どもの見本となる生き方です
素直な自分の感性がこれからの生き方の鍵
たくさんの可能性の扉をどんどん開けていきましょうねー