たまたま合格できた大学がカトリックの女子大でした。英語が勉強できればどこでもよかったので、片っ端から英文科のある大学を受けて片っ端から不合格通知をもらい、拾ってもらったのがこの大学でした。

 

本来であれば、大学で勉強できる機会を与えてもらって感謝するべきだったのでしょうが、私は大学に失望していました。

バブル経済絶頂期でした。周囲は毛皮のコートを着て、シャネルのマニキュアをし、ティファニーのネックレスをつけて、フェラガモの靴を履いて、ポワゾンの香水をふんだんにふりかけた女子大生であふれていました。

英語が勉強したかった私にはショックでした。私はアメリカ映画で見たようにジーンズをはいて大学に行き、目標に向かって勉強したかっただけなのに。クラスメートは勉強には全く興味がないようだし、ファッションの話ししかしないので共通の話題もないので友達はできないし、クラスの内容も高校の授業で習ったことのあるものばかりだったような気がして、何のために受験勉強したんだろう、何のためにポワゾンのニオイに頭痛がするような教室に座って高校の英文法の復習をしなきゃいけないのだろう、と不満で一杯でした。

 

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とはこのことで、私は自分の不満や失望をシスターたちに八つ当たりしていました。修道服に身を包んだシスター達は私とは関係のない世界に生きているように感じられました。時の総理大臣の名前をカイフでなくカイベと読んだシスターがいたりして、外の世界とつながりを断ち、修道院という閉ざされた世界の人々というイメージを私に植え付けることになってしまいました。