久々の投稿です。妹の ちと です☆


最近は、マミちゃん行きつけの居酒屋へ一緒に行ったり、マミちゃんにピアノを教えてもらったり、一緒に過ごすことが また増えました。
結婚をしてから、マミちゃんが母親の顔を見せてくれるようになった気がしています。
うまく伝えられない...でも、あー病気じゃなかったらこんな感じだったのかなって思えるような瞬間...。


さて、間が空いてしまい、何だ?って感じかもしれませんが、マミちゃんとの話にでる「あの時」の話②の続きを書きます。


母はハッと我にかえったようになり、一瞬、手の力をゆるめた。...の続きです⬇


そのすきに私が包丁を引き抜いた。

母は呆然としているような、、安心したような、、まだマグマが残っているのに行き場を失ってさまよっているような、なんとも言えない様子。

父はホッとして、包丁を隠し、私を褒め称えた。

父に恐怖は残っていたが、また少しずつ状況は父に優位に傾いていく。
母は包丁を持ったことで、完全に気が狂い、父の言葉を借りると「キチガイ」ということが確定されてしまった。

父は「このままじゃ何をするかわからない。危なくてしょうがない。もう明日にでも入院だ。」

母は「いやよ!いやよ!なんで包丁持ったくらいで入院しなきゃいけないのよ!」と懇願していた。

父は「当たり前だろう!普通の人がやることじゃないだろう。当分は入院だ。」

嫌がってやめてほしいと言えば言うほど、父の言葉もエスカレートしていく。

「こんなことをしてただで済むと思うなよ。精神病院に入れて一生出られないようにしてやる。」


母は弱い立場にいた。
母親を亡くし、親族もいない。
小さな子供が2人居るが、私達は無力だ。何も物事を動かせない。
もちろん、精神も衰弱し、通常の判断能力はなかった。
こんな幼稚なやりとりの中にも逃げ場を見つけ出せず、父の言葉に翻弄され、どんどん父の支配下に置かれていく。


母は恐怖の中に居た。


私はそう思う。

あの時、母を理解する言葉をかけてあげられる信頼出来る男性が母を支えてくれていたら、、、もちろん病気はなくならなかったかもしれないが!もう少し予後が良かっただろうという思いがある。
それが、私たちが母を看ていく原動力となったのでありますが、、、


そんなわけで、マミちゃんの中で 恩人 となった ちとなのであります。(誇らしげ♪)

と、いうことはマミの中でも、かなりの出来事だったんだろうね。一歩間違えたら、、、と怖かったんだろう。


だから、姉の恐怖は、最近分かってきた。
恐怖を感じてしまったら、本当に可哀想だったと思う。
いや、私も怖かったんだけどね!本当に!

でも、確かに母は一時、姉のことを自分を理解してくれない=父親と一緒、敵と思っている感じがあった。
マミは、怖がって懐かなくなった姉を父と同じように感じてしまっていた。
姉は頭のはっきりした、大人びたところのあった子供で、結構 優等生だったよねー。
私はまだ動物のような?コドモで、違和感はバリバリあったものの...無邪気に母を信頼していた。
この時期、姉は色々なショックであまり記憶がないと言っている。
人は辛すぎると記憶を消すそうだ。
小さかった姉を抱きしめて 包んであげたい。
皆で 抱きしめよう~☆


こんな感じで、姉と妹、同じ状況を経験していても、見ている視点が全く違かったり、感じ方も違うというのが、面白いなと思ってます。

二人の視点から出来事を見たら、また色々と私達も発見があることでしょう。


姉から言わせると、私は ちょっと変わってる そうで、一般的ではないと言う。
姉 いわく、「こんな環境の中で明るく希望を持って過ごせていたのは、ちょっとキテる」んだって。
確かに、最近、そう感じることも増えてきた。
でも、私も生きずらく、笑えるくらいもがいていたなと思います。

二人の口から語るという意義がありますね。
私達の経験が、誰かのお役にたちますように☆


そして、同じように、子供時代、青春期を過ごしてきた方々と繋がって、大きな波を起こしていきたいですねっ☆☆


ちと