世界遺産登録を巡って下手を打った日本外務省は猛省せよ! | 岐路に立つ日本を考える

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 私は日本を世界に誇ることのできる素晴らしい国だと思っていますが、残念ながらこの思いはまだ多くの国民の共通の考えとはなっていないようです。
 日本の抱えている問題について自分なりの見解を表明しながら、この思いを広げていきたいと思っています。


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 「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録はなされたものの、この代償として日本が払ったものには極めて大きなものがあるでしょう。

 例えばイギリスの有力紙「ガーディアン」は “Japan sites get world heritage status after forced labour acknowledgement”(強制労働を認めた結果、日本の遺産群が世界遺産に認定)と報じました。

 菅官房長官は「強制労働を意味しない」と述べましたが、そんなへ理屈は世界では通用しないでしょう。日本の政府代表は Japan is prepared to take measures that allow an understanding that there were a large number of Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions in the 1940s at some of the sites (遺跡群のいくつかで1940年代に意に反して連れて来られて厳しい労働条件のもとで働かされた朝鮮人らが多くいたとの理解を認める手段を講じる用意がある)と述べています。「意に反して連れて来られて厳しい労働条件のもとで働かされた」が「強制労働」ではないと理解せよというのは、どだい無理な話です。

 そもそも今回の韓国政府の因縁付けのような言い分に対して日本の外務省が its application referred to a period up to 1910, before foreign labourers were put to work at the sites(今回の遺産群の申請は1910年までの期間が対象であって、当該施設で強制労働があった時よりも時代的に前のことだ)という言い訳に走ったことまで報じられています。この記事を読んだ人は、日本は姑息な国だと感じたことでしょう。このような言い訳をしておいて「強制労働とは認めない」というのは、普通の頭では理解できない話です。

 韓国外務省は For the first time Japan mentioned the historical fact that Koreans were drafted against their will and forced into labour under harsh conditions in the 1940s(日本は初めて1940年代に厳しい労働条件のもとで朝鮮人が意に反して連れて来られて労役につかされた歴史的事実について言及した)と、いわば勝利宣言を発しました。

 日本の外務省は言い訳じみた反論をするのではなく、真正面から歴史的事実について語るべきでした。本土との格差を埋めるために日本政府は多額の資金を投じて朝鮮半島を保護していたこと、朝鮮半島においても地方議会については選挙が実施され、朝鮮人が地方議会の半数以上を占めていたこと、日本人は租界を設けて生活していたわけではなく、朝鮮人が多く住む中に入って居住していたこと、警察官も過半が朝鮮人だったことなどの話も前提としてきちんと説明すべきでした。その上で、道を歩いていたらトラックに無理矢理積み込まれたみたいなケースはありえないこと、本土の若者たちが徴兵にとられる中でその労働を代替するために求められたこと、従って過酷な労働とはいえ、労働力不足の中で高額の賃金が支払われており、本土の若者たちとの比較では恵まれた立場にあったこと、単身赴任もあるが、家族ぐるみで移住しているケースもあること、日本人も同様に働いていたこと、酒場をはじめ娯楽施設も多くある場所であったこと、などについて話し、韓国が主張するようなprisoners(囚われの身)だとは断じて言えないことを徹底的に主張して戦うべきでした。そしてその戦いの舞台はユネスコだけでなく、世界中のマスコミを相手に情報発信すべきでした。つまり、韓国から因縁を付けられたこの機会を利用して、戦前の日本の朝鮮統治の実情を逆に徹底的にアピールする機会に転じるくらいの気構えを持っているべきでした。そこまでやりきっても韓国がその主張を撤回しないならば、全会一致にならないのは仕方ないとして、投票に委ねるべきでした。その結果として登録に失敗していた可能性はあるでしょうが、それでも国家の威信は守ることができたでしょう。

 相手との関係を良くすることで丸くおさめようという日本人的発想が国際社会で通用しないことを、外務省は一体いつになったら理解するのでしょうか。日本人の美意識的には抵抗があるのは理解できますが、世界で通用する喧嘩の仕方を身につけないと国際社会で国益を貫くことはできないことを、いい加減学んでもらいたいものです。
 

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