電力会社いじめはもうやめにしよう! | 岐路に立つ日本を考える

岐路に立つ日本を考える

 私は日本を世界に誇ることのできる素晴らしい国だと思っていますが、残念ながらこの思いはまだ多くの国民の共通の考えとはなっていないようです。
 日本の抱えている問題について自分なりの見解を表明しながら、この思いを広げていきたいと思っています。


人気ブログランキングへ

 「究極の生鮮品は何か」と言われたら、皆さんは何だと思われますか。考え方によっていろいろな答があるのでしょうが、「電力」という答もあるというのはご理解頂けますでしょうか。何しろ、生産と消費が同時に行われ、過剰も不足も許されないというのが電力というものだからです。

 不足が許されないというのは理解できるとして、過剰が許されないというのはどういうことかと思われる方もいるかと思いますが、過剰になると周波数上昇を引き起こしてしまうのです。電力は東日本が50Hzで、西日本が60Hzで一定に保たなければならないということになっていますが、若干の過不足によって0.2Hz程度の変動が生まれてしまうことがあるようです。家庭用の電力であれば、この程度の変動が問題を引き起こすことはありませんが、精密なものを作っている工場などでは致命傷になる場合もあります。こういうとものすごくハイテクで特殊なものが頭に浮かぶかと思いますが、例えば製紙業においても紙の厚みなどに違いを生み出してしまうということがあり、現代の工業においては幅広い分野において非常に大きな影響を与えてしまうというのが実際です。

 電力会社は需要量と供給量を両睨みをしながら、発電事業を行っていきます。需要量は当然ながら見込みを読んで調整していくことになります。気温が0.5度高いか低いかだけでも電力量は大きく変動しますから、需要量に合わせて供給量を決めるというのは口で言う程簡単なことではないわけです。例えば、ワールドカップのサッカーではハーフタイムを迎えた瞬間に電力使用量が跳ね上がるそうです。みんなが一斉にトイレに席を立つからだそうですが、こんなことまで事前に予測して電力量の調節を行わないと、周波数を整えるのは非常に厳しくなるわけです。

 そしてこの状況に太陽光発電とか風力発電が大きく加わってきた時の対処の難しさというのはどのくらいのものであるか、想像できるでしょうか。どちらにしても各地各地の天気状況を常に見張っていなければならず、トータルの発電量がどのように推移するかを集計値として把握していくのは非常に困難なわけです。微量の過剰や不足が生まれた段階で周波数は変動し、精密さが要求される工業生産には向かない低品質の電力に変わっていくということについては既に述べました。このことはものづくり立国であるはずの日本に対して致命的なダメージになりかねないということはご理解頂けますでしょうか。太陽光発電や風力発電が伸びれば伸びるほど、電気料金が跳ね上がるばかりか電力品質の低下まで引き起こし、真っ当なものづくりが日本で行えなくなっていくという笑えない現実もあるのです。

 従来我が国の電力は定常的な電力を供給できる原子力発電をベースにおいて、火力と水力を利用して調整するという形で発電を整えてきました。しかしながらこの体制が福島原発事故以降崩れてしまいました。原子力発電の停止期間は大飯原発の差し止めを認めた福井地裁判決によってさらに長引く傾向が出てきました。こうした中で電力各社の経営悪化は止まらず、北海道電力に至っては債務超過に陥る恐れさえ出てきたこと、電力各社の電力料金の再値上げがやむを得ざる状況になってきたことを、産経が報じました。
産経の記事

 私たちは電力会社を一方的に悪だとみなし、従来の電力会社が嫌がること(太陽光発電や風力発電の推進、原子力発電の停止、発電事業と送電事業の分離)なら善だとみなす単純思考から、そろそろ抜け出すべきではないかと思います。日本の電力会社という日本のエネルギー供給の基幹会社を半端なく弱体化させ、日本が誇ってきた高品質電力を放棄させ、ものづくりによって国を支えていくことができない国家に日本を変えてしまうというのは、あまりにばかばかしい話ではないかと、私は考えます。


人気ブログランキングへ