菅直人氏の今さらながらのいいわけを断固認めるな! | 岐路に立つ日本を考える

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 私は日本を世界に誇ることのできる素晴らしい国だと思っていますが、残念ながらこの思いはまだ多くの国民の共通の考えとはなっていないようです。
 日本の抱えている問題について自分なりの見解を表明しながら、この思いを広げていきたいと思っています。


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 菅直人氏が自身のブログで「吉田所長の死を惜しむ」との記事を書き、その中で「海水注入を止めたのは菅総理。即刻辞任しろ」と安倍氏が非難したのはウソだと非難したことが話題になっています。

 ことの真偽は当事者にしかわからないところもありますので、実際の具体的な動きがどのようなものであったのかわかりませんが、ブログで管氏が述べるように、菅氏が適切な指示を出しながら、それに反した指示を東電側が現場に出していたようには、私には全く感じられません。当時の流れを、簡単に追ってみたいと思います。

 2011年3月12日の日経には、次の記述があります。

 「枝野幸男官房長官は12日午前0時すぎの記者会見で「非常時の炉心冷却装置による注水が不能な状態が続いているが、放射性物質の放出はない」と語った。これに関連し、クリントン米国務長官は11日、ワシントンで米軍による支援について「米空軍が非常に重要な冷却剤を原発施設の1つに届けた」と語った。」
リンク先は日経の記事

 原発が危険状態にあることを察した米軍が、原子炉の冷却剤を原発施設まで届けてくれていたというわけです。ところが、この冷却剤の利用を、菅内閣は拒絶しました。2011年3月18日の読売新聞には次の記述があります。

 「東京電力福島第一原子力発電所で起きた事故で、米政府が申し出た技術的な支援を日本政府が断った理由について、政府筋は18日、「当初は東電が『自分のところで出来る』と言っていた」と述べ、東電側が諸外国の協力は不要と判断していたことを明らかにした。政府関係者によると、米政府は11日の東日本巨大地震発生直後、米軍のヘリを提供することなどを申し入れたという。政府は、各国からの支援申し出は被災地での具体的な支援内容を調整したうえで受け入れており、「(断ったのではなく)いったん留め置いた」と釈明する声も出ている。」
リンク先は読売の記事

 この記事では「諸外国の協力は不要」との判断を行ったのは、政府ではなく東電だとされていますが、実際はどうなのでしょうか。「公安情報に学べ」という書物には、以下の記述が見られます。

 「同原発の異常を察知した米軍は、スリーマイル島で発生した原発事故と同様になると判断。原子炉の爆発による放射性物質の飛散を防ぐため、大量の冷却剤を調達したうえで、それを提供するので即時に投下散布するよう菅総理に進言した。在日米軍が冷却剤を用意してくれたことは官邸サイドも認めている。在日米軍は、軍用ヘリ60機を使って投下散布を繰り返すので、ヘリの発着場として最短で往復作業の可能な学校の校庭を提供してくれるよう要請し、菅総理の返答を待った。この発着場提供の要請に対して 菅総理は、申し入れを断り、在日米軍の冷却剤散布の進言を拒否した。菅総理の側近によると、当時菅総理は 「学校の校庭から米軍のヘリが発着する光景は戦争のようであり、そのような光景は、私の思考の中には無い」という理由だったと証言している。結果、3月12日15時31分、福島原発一号機が水素爆発、大量の放射性物質が飛散するという最悪の事態を招いてしまった。」

 福島第一原発が非常に危険な状態にあることは、当然管内閣は気付いていたはずです。そして事故をなるべく大きなものにしないためには、使える手段は何でも使うという方向に向かうべきだということも、当然理解していたはずです。しかしながら実際には、当時最も大切だった冷却剤を進んで提供するという米軍の申し出を、なぜか菅氏は拒絶していたわけです。

 私にはこの所行は、彼のイデオロギーが引き起こしたことのように感じられます。つまり、反原発・脱原発という立場からすれば、ここで事故が大きくなることが役に立つということが、彼の頭をよぎっていたのではないかと思うのです。状況証拠のみしかなく、決定的な証拠はありませんが、そうとでも考えないと、この申し出の拒絶は理解に苦しむところです。

 さて、亡くなった吉田昌郎氏が、青山繁晴氏に宛てたメールの一部が公開されましたが、それをここに転載させていただきます。


 青山繁晴様、東京電力の吉田でございます。ずいぶんと御無沙汰をしており、申し訳ありません。(中略)

 ご存じのように食道癌で入院しており、来週手術を予定しております。癌のステージは3ですが、食道を切除するとなるとなかなか大手術になりますので、万が一のことも考え、これまでの青山様のご支援や温かいお言葉に感謝の意を示すために、メールさせて頂きました。

 あの戦場のような最前線に、青山様自らきていただき、テレビで状況を報告して頂いたことが、現場の環境の改善や国民の皆さんの意識の変化につながったことは、いうまでもありません。そしてテレビで発信して頂いたお言葉が、今の平和ボケした学者や評論家にカツを入れて頂いたものと思っております。(当の平和ボケ者たちは自覚していないでしょうが…)

 本当にありがとうございました。そして青山さんご自身が体調を崩されながら、頑張っていらっしゃることもホームページで知りました。ご自愛くださいますよう祈っております。私も必ず病気から復帰し、平和ボケした、そしてすべきことがなかなか進まないこの國に、何らかの貢献ができないかと考えております。

 事故がなくともお会いしていたことになりますが、事故でより深くお付き合いできたものと考えております。この縁を大切にしたいと思います。復帰は手術後しばらくかかると思いますが、青山様のご活躍をお祈りし、復活し次第また連絡させて頂きます。なにはともあれ、本当に、本当に、ありがとうございました。

 吉田昌郎 拝



 吉田氏が語る「平和ボケした、そしてすべきことがなかなか進まないこの國」を、原発事故当時指揮していたのが、いうまでもなく菅直人氏です。この手紙には、管氏をはじめとする当時の民主党政権を構成した人々に対する痛烈な批判が込められているように、私には感じられます。もちろん、平和ボケしているのは民主党の人たちばかりではありませんし、政治家のみならず、学者もマスコミ関係者も含めて実にいろんな方々がこの中には入ると考えるべきでしょう。しかしながら、この中から菅直人氏が除外されるとは、吉田氏は全く思っていなかったと考えるのが、自然なことではないでしょうか。

 「死人に口なし」であって、この段階に至って凄まじい言い訳を行うのは、本当に見苦しいことです。菅直人氏という人物がそのような人物だったということを改めて感じるとともに、断じてこのような人物を信用してはならないとの思いを新たにした次第です。


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