あの日は娘1の卒業式でした。
朝から髪を結い、袴を着せ、自分の着物を着て、
駅直結のホテルでの卒業式でした。
卒業式を終え、謝恩会にでる予定でしたが、
どうしても帰ると言う娘を連れ帰り、
普段は居ない娘2と着物を脱いで、3人でお昼を食べに行きました。
そこで、食事を出された直後、揺れが来ました。
長い長い感じたようなことの無い揺れでした。
揺れが収まり、外に避難しました。
会計をして帰ろうと思いましたが、店長さんが(チェーン店)自分の采配で会計はいいので帰って下さい。と計らってくださいました。
道路は信号も消えて、気を付けながら帰りました。
途中、ガラス張りの建物のガラスが割れていたり、
勤め先の会社の人が状況確認しているのを目にして、
大変な事が起きているのだなと思いながら、帰路についていました。
家に帰ると、まず確認したのは、梅蔵(ヨークシャーテリア)でした。
無事を確認して、まず、水を貯めました。
食器棚の食器は飛び出し、本棚の本は飛び出し、
まもなく、水も出なくなり、電気やガスも止まり、
夫は、職場から戻らないだろうと、戸締まりをして、リビングに布団を敷き詰め過ごしました。
外は、雪が舞い、
夜には星も綺麗でシンとしていました。
娘1の友人から福島原発がヤバイと連絡が来て、え?と思いましたが、その後、報道され、大変な事が起こってるのではと思いました。
週が明け、流通は止まり、会社はシンとしていましたが、浸水した支店のをこちらで処理するための準備で忙しくなりました。
夫も職場の確認で帰ってきませんでしたが、娘達が水を貰ってきたりしてくれたので、助かりました。
食料は冷凍庫の食べ物をカセットコンロで煮て食べていました。
電気が先に通ったので、電気ポットでお湯を沸かし、ホットプレートで料理してました。
友人が安否の確認を、恐る恐るしてくれたり、
米を送ってくれようとしたり、気にしてもらえて嬉しかったです。
ライフラインが止まってるので、津波の状況もわからなかったです。
新聞を見てもピンときていませんでした。
沿岸近くの人達が、こっちは普通に日常があるよね。と
ライフラインは止まっても、家が街が流されて、又、流されてるのでは?と不安になりながらの日常
又、いつ津波が来るのではと、揺れるたび高台に逃げる日常
1週間前にあった友人が1週間後車の中で見つかった
義妹の両親がまだ(今も)みつからない
海沿いの障害持った友人は無事だろうか?
大学入学を控えた娘2を上京させてやれるだろうか?
なんとかバスで娘2人上京させて、入学式にまにあったこと
12年、まだ昨日のように思い出す
津波で無くなった高校が開校した春
高校の再建に尽力した夫はその春、命を全うし、
なんとも言えない気持ちに
この日が来ると、色々、思います。
この日が近づくと、あの日の前日、初めて、家族に誕生日を、忘れられた事を思い出します。
なんだか、セットで思い出します。
今日は黙祷しました。
揺れも続いています。
色々な不穏な事もあります。
耐えられるように準備をしましょう。
何事も無い日常が続きますように祈ります。
この時期になると色々な事思い出します。